ゴッホを観るために上野まで行ったのだが、ゴッホは上野ではなく竹橋でやっているのだった。上野駅は、平日の午前中なのに改札を出る前から人でごった返していた。間違いと分かったのだが、せっかく上野まで来たのだから、引き返す前に桜を見ていこうと思い、上野公園をぶらぶらと歩いた。不忍池の方へ抜ける桜並木のある通りの桜は既に6、7分の咲きで、通りの両側は花見の場所取りのための青いビニールシートがびっしりと敷かれ、通りも人が溢れている。よく晴れてあたたかく、空は春特有の靄がかかったような薄ぼけた青で、ざわざわとざわめく人ごみのなかを、ゆっくりと歩いた。聞こえてくる人々の話し声が、かなり高い割合で日本語ではないことに驚く。カラスが飛び交う。満開ではないが、かなりの密度でひしめくピンク色の桜の花の間にちょこんととまる黒々としたカラスは、ちょっと異様な感じで見物だ。
桜並木を歩き、不忍池までは行かず、途中で引き返し、噴水のあるところまで戻った。噴水の脇にしゃがみ込み、上野駅から動物園への道の途中にあるだだっ広い空間を眺める。人は桜並木の方に集中していて、いつも人で混雑しているという印象のある噴水のあたりは割合空いている。手前の広い空間を介して、その向こうに人の流れと、桜の花のピンク色が遠く見える。噴水の水音が安定した一定の調子で聞こえ、陽気は暑いくらいで、人はゆっくりと流れ、人々のざわめきの密度はうるさくも鬱陶しくもない程度で、空はぼうっと霞んで青くて、どこかのおっさんがキーボードで「四季の歌」をそれとはなかなか分からない崩れた演奏で弾いていて、遠くの方で人の群れがゆったりと流れ、カラスが飛び交い、ハトが地面をヒョコヒョコ歩いていて、もうゴッホを観に行く気も、美術館の建物のなかに入る気もなくなっていた。