●友人の展覧会を観に吉祥寺まで行って、そのギャラリーが井の頭公園のすぐ近くで、暖かいとまでは言えないけど、冴え冴えとした空から光が降り注いでくるような天気だったので、公園を散歩してみることにした。ギャラリーが、井の頭公園三鷹寄り(という言い方でいいのだろうか)の端の入り口に近かったので、そこから公園に入り、池に沿って荻窪方向へと歩いた。平日の午後の井の頭公園は、浮世離れしたユルい空気が流れていて、それだけで簡単に気持ちが良くなってしまう。ぼくは、井の頭公園と言えば池の周りしか知らなかったのだけど、細長い池が途切れた先にも公園はつづいていて、井の頭線のこじんまりとした高架をくぐってもまだ、広場というには細長く、道というには幅広い、不思議なひろがりとして、(おそらく池から流れ出ている)小さな川に沿って、公園はつづくのだった。井の頭線の高架のこじんまりとした佇まいがまたすごくいい感じで、その上を電車がゆっくりと動いて行くのを眺めていた。高架をくぐるちょっと手前の道では、冬の午後の低い位置からの光で、道幅いっぱいに長く伸びた並木の影が縞模様をつくっているのだが、高架をくぐると、空間が開け、並木も途切れるので、フラットな地面にフラットにめいっぱい光があたっている。高架の先では、細長くつづく公園の両側に住宅が迫っていて、お金持ちそうな家々が並んでいて、その家の一軒一軒がそれぞれに凝ったつくりになっていて、見ていて飽きない。河原では、中学生くらいの外国人の男女5、6人が甲高い声をあげながらはしゃいでいた。(聴こえてくるのは英語なのだが、そのなかの一人が、河原の石から石へと飛び移る時に「ドッコイショ」と言ったのが耳に残る。)そのまま歩きつづけ、公園の(道の)幅がだんだんん狭くなってきたので、そろそろ引き返そうかと思っていた時、目の前の、まるで予想もしていなかったところからふいに電車があらわれ、しかも、幻想的なと言っていいほどの遅さで通り過ぎていった。たんに、歩いている道と井の頭線の線路が少し先で交差していたというだけの話なのだが、道が緩やかにカーブしていたので、線路が見えなかったのだ。しかし、その出現の唐突さと、その何とも言えない速度とにすっかり感動してしまって、今日はもうこれから、一日中何もしないことに決めたのだった。