●明日は、展覧会の会場に作品を搬入して、展示し、明後日からはもう展覧会がはじまるのだった。展示のプランとか全然考えてなくて、会場に作品を持ち込んで、その場で作品を観て考えるのはいつものことなのだけど、今回はいつも展示を手伝ってくれる友人が病院行って胃カメラ飲むとかで手伝ってもらえなくて、その点はちょっと不安と言えば不安な感じだ。(「手が足りない」とかそういうことではなくて、「展示」みたいなある意味一発勝負の場で、判断が揺らいだ時に、意見を聞けるような「他人の目」があるとないとでは、精神的にかなり違うのだった。)タブローについては、最近つくった作品はほぼ全て会場に持ってゆくのだが、ドローイングは大量にあるので、そのなかから会場へもってゆくものをとりあえず(展示するかどうかはともかく)30点とちょっと選び出す。タブローは、ある程度作品としての完成度が問題になるのだが、ドローイングは必ずしもそうではなく、「完成へむけた構築」という作業のなかでは消えてしまうかもしれない様々な感触を定着させ、残しておくという目的もある。だからドローイングの判断は完成度だけでなされるわけではない。(完成度だけが問題ならば、ドローイングを展示する意味はあまりない。)しかし、その「感触」が自分にしか観えないようなあまりに弱いものならば、それを他人に示す意味はないので、ある程度は、ちゃんと「作品」になっているものを選ぼうとする。このあたりの塩梅は結構微妙で、だから自分のドローイングに対する判断は、観るたびにかなり揺れの幅が大きく迷いが生じる。(と言うか、まさにこの「揺れ幅」を確保するためにこそ、ドローイングという作業が必要なのだけど。)