●『ポニョ』はきっとすごく気の狂った映画だと予想されるので、是非、観に行きたいと思っているのだが、不安というか、それを躊躇させるものが一つある。宮崎駿を映画館で最後に観たのは『魔女の宅急便』で、それ以降は、ビデオかDVDでしか観ていない。その理由は、『魔女の宅急便』の「黄緑色」の使い方がぼくには耐えられず、それが映画館の大きなスクリーン上で展開されていて、途中からかなり気分が悪くなってしまったからだ。
ぼくは、絵具によって塗られた鮮やかな黄緑色にかなり弱い。勿論、木の葉や草などの自然のなかにある黄緑色は平気と言うか大好きなのだが、絵具の黄緑色には拒否反応を起こしてしまうのだ。黄緑色という言い方は雑で、そう呼ばれる色にも様々な表情や幅があり、そのすべてが駄目だというわけではなく、ある特定の黄緑色(それも、絵具の感触をもったもの)が、平面上である一定以上の面積を占めるのが駄目なのだ。鮮やかで、かなりベタな、生々しい黄緑色、という言い方で伝わるとは思えないのだが。青虫のような黄緑色、と言えばいいのか。
ぼく自身の作品のなかにも、かなり黄緑色と言ってよいだろうと思われる色は出て来るのだが、そこでは、非常に周到に、「ぼくの駄目な黄緑色」は避けられている(ぼくの絵のなかにあるのは、黄青色というべき色とか、鉱物的なエメラルドグリーン系の黄緑色で、あるいはベタな黄緑色だとかなり渋めに調整されていて、ベタで鮮やかな黄緑色はないはず)。セザンヌピサロ、あとマティスの黄緑色は、全然平気で、あっ、これ駄目、と思ったことは一度もないのだが、モネやゴッホピカソには、時々、ぼくには耐え難い黄緑色がある。念のために言うが、これはあくまでぼく固有の生理的反応のようなものであって、作品としての善し悪しとは全然別の話なのだが。中西夏之が一時期、黄緑色が増殖してゆくような絵を描いていたことがあって、ぼくはこの時期の作品はまともに観ることが出来ない。
で、宮崎駿は時々、ぼくの駄目な黄緑色をかなり大胆に使う。それでも、テレビの小さな画面で観ているならば大丈夫なのだが、映画館の大きなスクリーンにひろがると辛いものがある。『ポニョ』はなんとなく、黄緑色の気配がするので、ちょっと怖いのだ。