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あまり面白くないと感じてしまったのは、既に『ポニョはこうして生まれた』で宮崎駿という人物のキャラやジブリの雰囲気は散々観ているので(『ポニョは…』は、作品が生まれる過程――の、幾分か、ではあるけど――をカメラで記録し得たという意味で本当に奇跡的な作品で、ぼくはこれを何度も繰り返して観ているので)、それを中途半端にもう一度見せられている感じがしてしまったということがおそらくあって(宮崎駿のボヤキは十分すぎるくらい既に聞いたよ、と思ってしまう)、でも、この映画はまず、観客にとって未知の場所であるスタジオ・ジブリの雰囲気を覗き見する的な面白さを狙ってつくられていて、その部分をぼくは、いまさら…と感じて面白がれなかったという点が大きいのだろう。『ポニョは…』では、うんざりするくらいに宮崎駿に近く迫っているので、それに比べるとこの映画では、たんにおもろいオッチャンのキャラの表面だけなぞっているように見えてしまった。
宮崎駿という人に迫るという方向ならば『ポニョは…』という先行するすごい作品があるのだから、きっとこの作品では、高畑・宮崎・鈴木という三人の関係のあり様に、ギリギリに際どいところまで迫っているのではないかと、事前に勝手に期待してしまっていたので、だから、あらかじめある色眼鏡を通して作品を観てしまっていたかもしれないのだけど(三人の関係の歴史的推移を紹介するという以外は、宮崎駿が一方的に高畑勲について語っているだけみたいな印象だった)、それでも、やはりいろいろイマイチな感じなのではないかと思った。というか、スタジオ・ジブリの紹介、あるいはPR映画としては、そこそこ面白おかしく、バランスよく出来ているとは思うけど、それ以上のものにはなっていないのではないかと思った。
具体的なことを言えば、宮崎駿というキャラクターは偏屈だし確かに面白いので、彼を被写体の中心として追っていけばそれなりに面白い場面は撮れるだろうし、それを軸にして、ジブリのいろんな濃い人たちを配置すれば、それはそれなりに面白くはなるだろうけど、それでいいのか、と思ってしまった(「それでいいんじゃない」ということかもしれないけど)。軸として、宮崎駿が『風立ちぬ』を完成させる過程があって、その周辺に、ジブリをめぐる様々な人物たちの行動や言葉を配置しているわけだけど、作品制作の過程の記録としても、ジブリと言う特異な場の描出としても、どちらにしても中途半端なのではないかと感じてしまった。
高畑・宮崎・鈴木という三人の関係に迫っているのではないかというのは、ぼくの勝手な先入観なので、それが外れたことはどうでもいいのだけど、そうではないとしても、例えば、宮崎吾朗とか、高畑映画のプロデュースをしている若い人とか、広報の背の高いスーツの人とか、いつも何か食べている日テレの人とか、インタビューに答えていた女性アニメーターとか、そっちの方をもっと追っかけてゆくと、「別のジブリ」が見えてきそうで面白いのではないかと思える人がけっこう出てきたのだけど、結局、高畑・宮崎・鈴木という三人のキャラに、しかも特に宮崎駿という存在に、よりかかることになってしまっているのではないか(あるいは、そっちに特化して寄って行くのだとしたら中途半端ではないか)というのが最大の不満だった。
高畑・宮崎・鈴木がメインだというのはまあ仕方ないとして、せっかく、それとはまた「別のジブリ」の感じが垣間見えているのだから、こっち側の様子も三人と拮抗するくらいに、もっと見せて欲しかったと思ってしまった。そうじゃないと、ジブリは結局「宮崎駿」だよね、ということになってしまうのではないか。実際、そうなのかもしれないけど。
(象徴的に「保育園の子供たち」を見せるだけでなく、具体的に、ジブリの次の世代の人たちを、「ジブリに次の世代はあり得るのか」というシビアなところまで含めて、もっと見せてほしかった、と思ってしまった。実際、それをチラッとは見せているのだから。)
●でも、この映画で被写体として圧倒的に面白かったのは庵野秀明で、この人は画面に映っているだけで常に面白く、ただぼさっと突っ立っているだけで充分に面白い。