●ある映画作家についての文章を書くことになっていて、その過去の作品のDVDを探しに久しぶりに新宿のツタヤに行き、目的のものは無事レンタル出来たので一つ上の階の日本映画とアニメのコーナーをぶらぶらしていたら、『ポニョはこうして生まれた--宮崎駿の思考過程』というドキュメンタリーがあった。NHKのディレクターが制作の初期段階から完成までを密着して撮った、全部でDVD五本分、十二時間以上もある作品なのだった。気になって、とりあえず最初の三本だけ借りることにした(これは三日前のこと)。
●で、これが本当にすばらしい。「作品」をつくっているあらゆる人にとって、勇気の源となり、導きの糸となり、同時に、喉元に突きつけられた刃となるようなものだった。世界の巨匠であろうと、凡庸な作家であろうと、作品をつくる時にやるべきこと、外してはならない段取り、進むべき道を探すための過程、その不安や逡巡は、何もかわらないのだということが分かることでまず感動し、勇気づけられる。しかしその精度が半端ではないこと、考えていることの大きさも半端ではないことに、驚かされ、打ちのめされ、挑発される。今後、心が折れそうになったり、気力がなくなりそうになったら、何度でもこのDVDを借りてきて見直そうと思った。いや、出来れば買って手元に置いておくべきかもしれない。そうすれば「お守り」にもなるかもしれないし。
勿論、制作のための条件は、ぼくなどから見ると信じられないくらい恵まれていて、心の底からうらやましいと思う。しかし、そのような「制作の条件の良さ」など、作品をつくるという道の遠さ、そこをすすんでゆく時の不安や重圧に対して、大した支えになどならないのだと、宮崎駿なら言うだろう。そしてその不安のなかを、細い糸をたぐるように、行きつ戻りつしながらすすんでゆく様が、えんえんと捉えられている。
ありがちなメイキングと違うところは、何よりとにかく時間が長いということ。まだ二本目までしか見ていなくて、二本目が終わるところでようやく『ポニョ』が本格的な製作体勢に入ることになるのだが、DVD一本が三時間ちかくあって、そこまででもう既に、ぼくは延々六時間も(なかなか製作スタートに踏み切れないでいる)白髪にヒゲのおっさんの顔ばかりを見つめつづけていることになる。実際、作家が作品を準備している過程をこんなに詳細に記録した例は他にないんじゃないかというほどにしつこい。いってみれば、白髪にヒゲのおっさんがぐちぐち言ってるところが延々とつづいているだけなのだが。普通もっと遠慮するだろう、と思う場面にもずかずか入っていって、カメラはそれを記録する。宮崎駿にとってはすごく鬱陶しいと思うけど、それを観ることの出来るぼくはとても幸運だ。教えられることの何と多いことか(宮崎駿が何を言っているかということよりも、どのような姿勢であるのか、というところから)。カメラを宮崎駿が受け入れているのは、この先、もとどれだけ作品をつくれるか分からないので、自分のこのような姿勢を若い人たちに対して残しておきたいという気持ちもあったのかもしれない。観ていると、これこそ本物の作家の姿だと思うし、作品をつくるというのはこういうことなのだと思い知らされる。これは限りなく貴重な記録だ。
もともとぼくにとって宮崎駿は、すごいとは思うけど、どこかで常に保留を置いておかないと観ることが出来ない作家だった。『もののけ姫』とか『千と千尋の神隠し』みたいなマニエリスム的な傾向の強い作品は全然好きではない。しかし『崖の上のポニョ』は、いままでのそのような「ひっかかり」がすべて押し流されてどうでもよくなってしまうくらい圧倒的にすばらしくて、宮崎駿の全作品のなかでも破格のものだと思っているのだが、この制作過程をみていると、その破格さが納得される。本当に、よくぞこれを撮っておいてくれた、と感謝したい。
ずっとこればっかり観ていたので、原稿を書くべき映画作家の映画をなかなか観られない。
●DVDの一本目の最後の方で、宮崎駿が、ぼくが最近「線」について考えていることとほぼ同じことを、自ら紙の上に線を引きつつ説明している場面があって、それを観て息が止まりそうなくらい興奮した。ああ、ぼくの考えていることは決して見当外れなことではなかったのだ、と。
●あと、宮崎駿は新作の製作を先延ばしにするためにマンガの仕事を引き受けていて、最初の方はそのマンガを描いているところが延々とつづくのだが、そのマンガの書き方が面白くて、一コマを彩色まで含めて完全に完成させてから、次のコマの下書きを描きはじめるのだった。大ざっぱなコマ割りみたいなのは他の紙でやっているようなのだが、でもそれも、一コマ完成されるごとに変更される余地があるようなのだった。