●『風立ちぬ』を観てから、いくつか宮崎駿をDVDで観直した。具体的には、『風の谷のナウシカ』、『となりのトトロ』、『千と千尋の神隠し』、『ハウルの動く城』。この四本を選んだ意図があるわけではなく、近所のレンタル店の貸し出し状況が反映されたに過ぎない。
ナウシカ」を改めて観て驚いたのだけど、ごく普通の意味ですごく面白い。娯楽作品としてバランスもよく完成度も高いのではないか。こんなに面白かったのか、と思った。で、すごいのはそのことよりも、この後、宮崎駿は「ナウシカ」のようなバランスの良い映画をつくらないというところだ。もう、こういうのは一回やったのだからいい、という感じなのではないか。
「トトロ」で、庭でおたまじゃくしを見つけた四歳の女の子(メイ)が思いっきり「おじゃまたくし!」と叫ぶ場面があって、うわ、なんてベタなんだと思って引きかけるのだけど、それでも思わず口元が緩んでしまう。これは宮崎駿が、まったく躊躇も臆面もなく、全力で徹底して「ベタ」をやった作品なのではないか。山のようなツッコミどころがあったとしても、トトロがかわいいだろ、ネコバスすげえだろ、で、強引に押し切ってしまうのだし、こちらも押し切られてしまう。フルスイングのベタというか。恐らく、ほんの少しでも躊躇があると、観ている側が恥ずかしくなってしまうと思うのだけど、恥ずかしいと思わせる隙を与えることなく「ベタ」で押してくる。
千と千尋」は宮崎マニエリスムの極致で、宮崎駿としては、自分の出来ることのすべて、持っている能力のすべてを出し切ったうえで、さらにそこに三割増しで盛っていったというくらいではないか。はじめから終わりまで息つく暇もなく面白い細部がぎっしりと詰め込まれている。いや、詰め込み過ぎだろ、と思う。作品としての整合性とかよりも、とにかく出せるものはすべて出す、出せないものまで無理して出す、とにかく盛ってゆく、という感じではないか。ギラギラし過ぎているとか趣味が悪いとか、以前に観た時はおそらくそんなことを感じたと思うけど、並みの人ではここまでギラギラしたものはつくれないよなあと、今は思うし、そのことに感動し、鼓舞もされる。ありふれた言い方だけど、こんなものをつくる人はやはり呪われていると思うし、その呪いに対して畏怖と嫉妬を感じもする。この密度をみて、この人は、一人で別次元を行っているのだなあと、つくづく思った。こういう言い方はよくないかしれないけど、同じような主題---子供が異界に触れて成長する---の作品が、これを観ることで色あせて感じられてしまう。
(ヒロインの千尋が、「トトロ」で言えばサツキ的な顔---宮崎ヒロインの顔---ではなくメイ的な顔であって、この作品には宮崎ヒロイン的な顔が出てこないことはけっこう重要かもしれない。ポニョもどちらかというとこっち側だけど、ポニョでは宗助の母が宮崎ヒロイン的な位置にいる。)
とはいえ、「千と千尋」では、物語としてはあくまで常識的なところに納まってはいた。枠組みとしてはありふれたものが採用されていて、最低限の外枠として、「子供が楽しんで観るためのもの」というところにギリギリあるといえた。でも「ハウル」になるとそれさえ崩れてゆく。好き、嫌いで言えば、この四本では「ハウル」が一番好きだと今回は思った。この作品からは、マニエリスム閾値を越えてしまったところにあらわれる、崩れや爛れのようなものを感じる。そこはもう通俗には納まりきれない領域だと思う。物語も崩れているし、登場人物の同一性が崩れまくっている。でもそこに、宮崎駿の作家としての生々しい部分が出ているように思う。
ヒロインが不良(悪と弱さを持つ者)に惚れるというのはそれまでの作品にはなかったことではないか。ハウルとハクとは(どこか似ているところがあるからこそ一層)まったく違うキャラだと言える。若い姿のソフィーが「老け声」だというところにも、妙な生々しさを感じる(倍賞千恵子木村拓哉カップルというのは、ちょっと倒錯的だ)。ぼくがすごく面白いと思ったのはお婆さん(荒れ地の魔女)の描き方で、普段はほとんどいい感じでボケているのに、その底に根強く業としての「欲」が燻っていて、ボケてもなおそれに囚われている感じが、例えば「トトロ」に出てくる、キャラとして安定したいわゆる「お婆さん」とはまったく違っているところ。ポニョにもお婆さんたちが出てくるけど、ポニョの老人たちはもっと無邪気に子供に近い。「ハウル」のお婆さんは、すごく生々しくお婆さんだった。
で、普通ならば、「千と千尋」と「ハウル」で出すものは出し切って、徐々に枯れた感じに…、となるのかと思いきや、この後にまだ「ポニョ」が出てくるというのが、もう、この人からはどんだけのものが出てくるんだよ、という感じで、やはり、一人で別次元を行っている人なのだなあ思う。このことは、作品、あるいは作家としての「好き嫌い」とはまた別のことなのだけど。
あと、「ポニョ」の冒頭と「ナウシカ」の冒頭が似ていることに気付いた。ポニョがクラゲの中に入って海中を漂うように、ナウシカは、オームの死がいから取った目(透明な半球状のもの)を頭から被って空を飛んでいた。