●昨日、宮崎駿が『風立ちぬ』を製作している過程のドキュメンタリーをテレビでやっていて、こういうのは絶対、なんでこんな風にまとめちゃうのかなあというような型通りのつまらない形にまとめられちゃってるんだよなあと思いつつも観たのだが、案の定その通りの出来で、イマイチな感じなので他の用事をしながら適当に流して観ていたのだけど、ただ、二郎の声が庵野秀明に決まった瞬間が素晴らしくて、よくぞこの瞬間を撮っていたものだと思ったのだった。
役を決める会議の席で宮崎駿が、「昔のインテリは滑舌がよくて声が高い、内気だからではなく頭が良すぎて言葉数が少ない」みたいな二郎のキャラの説明をしていて、鈴木プロデューサーがぼそっと「庵野」と言い、「庵野面白いねえ」、「一回録ってみたら…」みたいな流れになって、早速、本人が呼ばれることになる。
そしてのっそりとした庵野秀明の背中が画面にあらわれる。「ぼく滑舌悪いんですよ、ハハハハ」みたいな緩い感じで。庵野は試写室のマイクの前に立ち、宮崎は別室からそれをモニターで観ている。テレビの画面には宮崎の観ているモニターの画面が映っている。モニターにたった一人でぽつんと映る庵野は、猫背で、所在無げに頭をボリボリかきながら、「えー、はい」とか言いつつ、次の瞬間いきなり「君たち、ひもじくない」という映画のセリフを口にする(最初がそのセリフなのか!と思うけど)。この瞬間、宮崎駿でなくても、おそらく誰でもが、「あ、これで決まり」と思うんじゃないかと思う。いや、それはぼくがもう『風立ちぬ』を観てしまっているからというバイアスは勿論あるのだろうけど、それを差し引いても、「滑舌悪いんですよ」とか「えー、はい」とか言っている「庵野秀明という人」とはまったく別の、フィクションの人物が、その声によってたった今そこに立ち上がったのを、きっと誰でもが感じるはずだというような、その時点で既に完成された「登場人物の声」があったように思う。最初の一言でもう決まり、みたいな。
その後、うれしそうに笑う宮崎の顔と、それにつづいて、鈴木と宮崎が「よっしゃあ」みたいな感じで目配せをするところが映る。
おそらくどんな作品でも(それが成功するにしろ失敗するにしろ)、この作品はこれで行くしかないんだ、という何かが「降りてくる(ピタッとはまる)」瞬間があって、この場面はまさにそれなんじゃないか(少なくとも、いくつかあるその「一つ」ではあるんじゃないか)と思った。だからこのキャスティングは、庵野秀明という人がアニメーション作家としてとても有名な人だと言うこととか、宮崎‐庵野の過去の関係がどういうものだとかいうことではなく、まさに「この声」としてこの作品にハマったのだなと思った(いや勿論、「この声」には宮崎‐庵野の関係とかも全部入っているわけだろうけど)。このハマり方があまりに素晴らしいので、この場面を観ていて泣きそうになった。いや、まじで『風立ちぬ』本編よりもこの場面の方がずっと感動したというくらいだった。
この後、「まだ言いふらさない方がいいのか」とか言いつつ、宮崎駿はスタジオじゅうをまわって「二郎は庵野に決まった」とうれしそうに言いふらしてまわるのだった。本当にうれしそうで観ている方もうれしくなる。
で、驚いたのだけど、二郎と菜穂子の短い新婚生活とその後の別れの場面の絵コンテは、二郎の声が庵野秀明に決まったその後で描かれたのだった。つまり、庵野秀明の声がそこにハマるまでそれは描けなかったということだと思う。そのことが、「この声」がいかに重要であるかを語っているように思った。おそらく宮崎駿は、この声があってはじめて二郎と言うキャラクターの明確な像を(あるいは、これでいけるという確信を)掴めたのではないかと思った。ずっと探していたものがそこにあったというか、そこで二郎はもう庵野秀明と切り離せなくなっていた、という感じなのだと思う。いや、ここまで来ててまだ掴めてなかったのかよ、ということでもあるけど。
●最後のクレジットをみると「ポニョはこうして生まれた」をつくった荒川格という人が撮影・ディレクターとなっていた。だからきっと、この番組のディレクターズカット版というか、別編集のもっと長いバージョンもあるはずだと期待したい。
「ポニョは…」では、カメラを持った荒川さんが実際にその場で宮崎駿に問いかける声が入っているし(そして荒川さんはしょっちゅう怒られている)、その場面に対するコメントも、荒川さん自身のナレーションによって、荒川さんの考えとしてつけられていた。しかしこの番組では、宮崎駿に問いかける荒川さん自身の声は切られていて、それが芸能人の(それらしい)ナレーションによって代替されているか、宮崎駿の答えだけが提示される形になっていた。しかも、番組全体が、(視聴者の考えを誘導するような)やたらと断定的な調子のナレーションによって「それらしくまとめられて」しまっていた。
●「ポニョはこうして生まれた」は12時間半もあるのだけど、少なくとも通して三回くらいは観ているので(宮崎駿が弁当を食っている場面を一体何回観せられたことかと思う)、ジブリや二馬力のなかをまるで知っている場所であるかのように勘違いしてしまって、久しぶりに中を覗いたみたいな気になる。宮崎駿は「ポニョ」の頃とあまり変わっていない感じだったけど(少し痩せたかもしれないけど)、鈴木プロデューサーが少し老けた感じがした。