●『おおかみこどもの雨と雪』をDVDで観た。これは良かった。ぼくは今まで細田守とはまったく相性が悪かった。『時をかける少女』はどうしても好きになれない(というか嫌いだ)し『サマーウォーズ』もどこが面白いのかさっぱり分からなかった。「ぼくらのウォーゲーム!」にしても、別に……、という感じだったし(「ウテナ」好きとしては、何故あの橋本カツヨが…、と思ってしまう)。なので、この作品を観る気はあまりなかったのだけど、最近アニメばかり観ている勢いでなんとなく観てしまったらとても素晴らしかった。
この作品も、子供が生まれる前のプロローグの部分は、「いったいこれのどこが面白いというのだろうか」という懐疑的な(かなり白々とした)気持ちで観ていたのだけど、子供(雪)が出てきて、その子供がそのまま狼に変身してアパートの部屋を駆け回っているカットを観て、その瞬間「きたーっ」という気持ちになって、そこからはもう最後までずっと興奮しっぱなしだった。何が素晴らしいといって、狼が素晴らしく、狼だから素晴らしい。というか、人が、狼になったり人になったりするのが素晴らしい。いやもう、それがすべてで、そこだけあれば物語とかどうでもいいというくらい、そこが素晴らしい。
人が、人であり同時に狼でもあって、人の姿が狼へと滑らかに変化し、また、狼の姿が滑らかに人に変化する。それが可能であり、かつ当然であるかのような世界。それは擬人化などではなく、実際に人は狼なのであり、狼は人であるのだ。日本のアニメの何が面白く、何が素晴らしいのかと言えば、つまりそういうところであり、そういうことなのだ。そのもっともシンプルな核心の部分が、本当にシンプルに汲み上げられていると思った。例えば「ポニョ」みたいな、ああいう天才の強引な力技でなくても、ある意味、ありがちで保守的な物語をバランスよく語るなかにそれが過不足なく収められているのだとしても、それはそれだけで素晴らしいものだということを教えてくれる。とにかくこの作品は、子供が狼だということそれ自体が素晴らしく、子供が狼であることを表現するその描写が素晴らしい、ということで、それだけなのだが、それだけのことが過不足なく素晴らしい。自分が狼であった頃の記憶(そんな「頃」などあり得ないのだが)がよみがえってきて、からだがムズムズして、いてもたってもいられなくなるような感じ。
いや、それにしても、自分はこんなにも「イヌ科の動物」が動くフォルムが好きだったのか、ということをこの作品で発見させられた。ほとんど「狼すげー」っていう風に興奮しているだけとも言える。なんで、子供が狼にメタモルフォーゼするだけのカットであんなに興奮するのか自分でもよく分からない。
例えば「ポニョ」において、ポニョは魚でなくてはならないし、そしてそのイメージの一部は両生類でなければならない。そこに理屈はないが、それは表現の最も基底にある代替不可能な部分で、そのことはポニョのお話の原型が人魚姫であるとか、そういう意味的なことよりずっと重要だ。この作品でも、子供が狼であることには根拠などなく、しかしだからこそそこは代替不可能で、この作品の根底にかかわる事柄なのだと思う。そして、根拠はないが「狼でなければならない」というその感触が、作品として最終的に、通りのいい大衆的な物語へと加工された後でも、ほとんどそのままの形で生々しく残っているということなのだと思う。だからこそ、子供が狼に変わるだけで興奮させられるのだし、子供が狼であり、狼が子供であるという、ただそれだけのことが(描写が)素晴らしいのだと思う。
●演出もいろいろ面白かった。例えば、主人公の一家が田舎へ引っ越したその家が、どう考えても必要以上にデカい家で、なんでこんなに極端にデカい家なんだろうと疑問に思うのだけど、終盤になって、雪と雨が、「学校行きなさいよ」「いかないよ」みたいにことになって、ケンカがエスカレートして狼の姿になるのだけど、この場面で、割と狭い台所のような場所で言い争っていた二人が、狼の姿になったとたん、バッと空間が広がって二人(二匹)が家じゅうを飛び回ることになる。この、変身と共に起こる「不意の空間の広がり」が素晴らしくて(ここまでは、家の内部の広さをあまり意識させないような演出になっていた)、ああ、この場面のためにこんなに広い家が必要だったのか、と納得する。割とあたたかい感じだった狭い空間から、がらんとしてとりとめのないような(隠されていた空虚のような)広い空間が突然あらわれる。この場面で、二人か完全に別の道を行っていて、雨はきっと山に行ってしまうのだなあ、ということが感じられる。