●現代HEIGHTSでのトークは、ぼくとしてはとても面白かったし、やってよかったと思った。そもそも、ぼくが「この人たちの話を聞きたい」と思った人に集まってもらって、話してもらったのだから、ぼくにとって面白いのは当然といえば当然なのだが。なにより、話し手それぞれが持ち寄った大量の画集が机の上にダーッと並べられている様はそれだけで気分が高揚したし、それを、次から次へと、という感じで、一つ一つ手に取って眺められたのがぼくとしては大変に楽しかった。ただ、聞きに来て下さった方に対してどうだったか、という点では、反省するところもある。声がちゃんと後ろまで届いただろうかとか、という基本的なこともあるし、ところどころで、(聞き手を無視するみたいに)話し手の六人だけでしゃべっているような感じになったところもあったように思う。何より、今、この作品について話しているという作品の図版が、後ろの人にはほとんど見えなかっただろうと思う。もともとの発想は、人の家やアトリエを訪ねて、そこにある画集を見せてもらっている時に、未知の画集をみつけて、あっ、この作家面白いね、とか、この画集はいい画集だよね、とか、こんなの全然知らなかった、とか言っている、そういう場や、そこで話されるような話を、もう少し大がかりな感じで人前で出来ないかということだったので、だいたい十人から二十人くらいの人を想定していて、話し手も聞き手も一緒に机のまわりをぐるっと取り囲んで話すという形をイメージしていたのだが、予想外に多くの人(四十人くらい)に来ていただいたので、それがうまく機能しなかったところがあり、その辺の不備はあったのではないかと思う。
今日の話の白眉はなんといっても井上くんの話で、とても面白かったし感銘も受けた。そこに絵画の命脈があるのは確かだとも思った。井上くんのことはもうずいぶん前から知っているけど、「こんなに熱く語る井上実」を見たのははじめてで、この話を聞けただけでもこのイベントをやってよかったと思った。それと、郷くんが、ポルケとクレーを結び付けて、その自由さというか、キャパシティーの広い「囚われの無さ」へのあこがれを語っているところで、ぼくとしては、ああ、そういうことか、と気付かされたものがあった。正直、ぼくはポルケをあまり好きではないのだが、その作品からクレー的な自由さを見るということに、目を開かされた感じがした。
(帰りの電車で、郷くんも『ポニョができるまで』に強く感銘を受けていることを知る。DVDを全巻持っていて、行き詰まったら繰り返し観ると言っていた。宮崎駿のアトリエの前まで「お参り」に行くこともある、とも言っていた。)