●『ポニョはこうして生まれた--宮崎駿の思考過程』三本目。いよいよ「ポニョ」の本格的な製作がはじまる。ここまでくると、宮崎駿は超人的に働きはじめる。画面で見るかぎり、はとんどすべての原画に手をいれているようにみえるし、あらゆる技術スタッフのところをまわり、チェックをし、指示を出している。そして夜は一人で絵コンテを描く。「ポニョ」の準備段階の頃、ジブリでは息子が監督した映画が進行中で、宮崎駿はそれに対して否定的で、「アニメーションの製作にかかわった経験がない者が監督をやるべきではない、本当にやりたいのなら絵の修行からはじめるべきだった」と言っていて、見ている方としては「父と息子の関係はめんどくさいからなあ」ぐらいに思っていたのだが、実際に宮崎駿の仕事ぶりをみると、その言葉がたんに息子に向けられたものではないのだということが分かる。監督が誰よりも上手なアニメーターであり、誰よりも制作のあらゆるパートに精通している。そういうでなければ作品全体のイメージを具体的に方向付けることは出来ないし、作品全体のクオリティの責任をもつことは出来ないと考えているようだ。
驚いたのは、製作が本格的にスタートしてもまだ絵コンテが最後まで完成していないこと。宮崎駿の映画には脚本がないから、つまり、製作がはじまっているのに、その作品がどこに着地することになるのか誰にも分かっていないのだ。宮崎駿は、原画ひとつひとつに手を入れ、スタッフの仕事ぶりを目にし、出来上がったカットをひとつひとつ確かめながら、作品が行くべき先を探っているようだ。これは、マンガの仕事をしている時に、一コマを完全に仕上げてから次のコマの下書きをはじめるということとも共通していて、この人の一貫した仕事の進め方なのだろう。最後までちゃんと考えてはいるのだけど、実際に作業をはじめると、頭のなかで考えていたことだけでは納まらなくなる、ものをつくるというのはそういうことだ、と。考えてみれは、「作品をつくる」という時それはごく当たり前の進め方なのだが、しかし、アニメーション映画の場合、多くのスタッフが働き、大きなお金が既に投入され、しかも公開時期まで決まっているなかで、仮の支えさえないわけで、このやり方を貫くのはそうとうの重圧だろうと思う。プロデューサーは「この映画がいったいどれくらいの長さのものになるのかさえまだ誰も知らない、ジブリは月産約五分だから、八十分だと公開に間に合うけど、百分超えたら間に合わなくなる」と言っていた。
●製作の現場が見られ、具体的な段取りを知ることが出来るのはとても面白いのだが、しかし、このドキュメンタリーで一番面白いのは、やはり、何もしていないように見える制作の準備段階を追っかけている部分なのかなあと思う。最初、宮崎駿がぼんやりと地球儀に落書きしていたり、新作の準備をすすめるのが嫌でマンガを描いていたりしている時からずっと密着していることが、このドキュメンタリーの画期的なところなのだ。
未だ何も形になっていないことによる、あらゆる可能性に開かれていること、つまり作品への夢の大きさと、しかしそれはまだまったく形になっていないし、本当に形になるものなのかという保証など全くないという不安。これならいけるんじゃないかという感触と、いや、まだこれではダメだという感触を、行きつ戻りつしながら、少しずつイメージが固まってゆき、ある瞬間に「これだ」という絵を描いてしまうこと。その絵を描いてしまったことに自分でたじろぎ、本当にこれで行けるのかと再び迷う。あるいは、半信半疑で描きはじめた絵が意外な発展をみせ、もしかしたらこれは面白いんじゃないかという気になってくるのだが、しかしいまひとつそれに確信をもつことが出来ない時、たまたまふらっとやってきたプロデューサーが「これ面白いねえ」と言ったことでそのイメージに確信がもてるようになる。等々。あるビジョンはあるのだが、未だそれはあやふやで、しかしそのあやふやなものを、通りの良い、分かり易いところ(形)に簡単に落とし込むのではなく、あやふやなもののもつ可能性の大きさをあやふやなままで正確に保持しつつ、様々な試みを吊り返しながら少しずつそれに明確なイメージを与え、これで「いける」という確信を強くしてゆく過程。制作の準備段階という、もっとも希望が大きく、もっとも寄る辺なく、もっとも不安な、いてもたってもいられないむずむずするような感覚のなかに佇んでいるような時間。それは作品をつくる時間のなかで最も豊かな時間だと言えるのかもしれない。そういう時間をカメラが撮っていたということが、すごいことだと思うのだ。