●昨日、本屋に行った時に、探していたものとまったく関係なく、たまたま手にとってしまって、『崖の上のポニョ』の絵コンテが印刷されている本を買ってしまった。これはすばらしい。ため息をつきながらページをめくる。DVDを借りて部屋の小さなテレビで観直すより、絵コンテを見ている方がずっと「あの感じ」が頭のなかで正確に再現されるのではないだろうか。
絵コンテを観る時、映画で同じ場面を観るよりもずっとゆっくりとしたスピードで観ることになるのだが、ゆっくり観ている(読んでいる)にもかかわらず、そこにはっきりとスピードが感じられる。絵コンテは、止まっている絵ではあるけど、それをどのように動かすのかという感触を動画を描く人に伝えるものだろうから、その絵には動きやはやさの質を指定するような形態が選ばれて描かれている。だから静止した絵によって、ゆっくりとはやさをイメージすることが出来る。あるいは、時間の外で「はやさ」をイメージできる。まあそれは、宮崎駿がめちゃくちゃ絵が上手いことによって可能になるのだろうけど。宮崎駿が上手いというのは、空間と動きを捉えるという意味において、なのだが。
この『ポニョ』の絵コンテを観ていると、見開きのなかでコマを自由にレイアウトできるマンガよりも、同じ大きさのフレームがきちっと並んでいるだけの絵コンテの方が、ずっと表現として自由であるようにさえ感じられる(例えば、同じ宮崎駿によって描かれたマンガ版『風の谷のナウシカ』よりも)。本編の映画『ポニョ』を既に観ているから、その記憶が絵コンテの動きを生き生きとさせるのかもしれないのだが、必ずしも、そうとばかりは言えない、もしかすると映画そのものを超えるくらいの、自由な動きと空間の移動の感触がこの絵コンテには刻まれているようにさえ感じられるのだ。それは、絵コンテは作品-商品ではないから後から均すような「仕上げ」が必要ない、ということも大きな原因としてあると思う。そこには、もっともダイレクトに「動き」への指向や欲望が刻まれている。上手い絵というのは本当は、そういうものが刻まれている絵のことなのだ。
●今年観たもので、特に強く刺激を受けたもの五つ。「sygyzy」振付・捩子ぴじん、出演・神村恵、福留麻里(アサヒ・アートスクエア)。http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20090426 利部志穂・展(国分寺Switchpoint)。http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20091205 小林耕平「右は青、青は左、左は黄、黄は右」(山本現代)。http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20091002 岡崎乾二郎のゲント現代美術館でのインスタレーションの再現(東京都現代美術館)。http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20091121 四面・展での、郷正助の作品(武蔵野美術大学の芸術祭)。http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20091031
●今年は映画をあまり観られなかったという印象だけど、今年の前半に&AND(http://www.and-web.info)の人たちの作品を観ることができたのはぼくにとってとても大きなことだった。