柴崎友香さんが、「春の庭」で芥川賞を受賞されました。おめでとうございます。以下のリンクはこの日記に書いた「春の庭」の感想です。
http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20140620
http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20140621
http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20140622
芥川賞に便乗して宣伝させてもらいます。自主制作電子書籍『フィクションの音域 現代小説の考察』には、『星よりひそかに』『わたしがいなかった街で』『星のしるし』と、柴崎さんの小説三作の書評が載っています。
http://oniki.webnode.jp/
(あと、2009年に出た『人はある日とつぜん小説家になる』という本には、「目とレンズと星のしるし」という柴崎論が載っています。現時点から見ればこれは初期作品論ということになるのでしょうか。)
●お知らせ。7月18日付けの東京新聞夕刊に、国立新美術館でやっているオルセー美術館展について書いた記事が掲載されます。展覧会評というより、マネについて、それも主に「笛を吹く少年」という絵について、書いています。
●リンクレイターの『ビフォア・ミッドナイト』をDVDで。これはぼくにはまったくダメだった。前作の『ビフォア・サンセット』も、ぼくにとっては「信用できない(とりわけ、一つ一つの細部の精度が信用できない)」というタイプの作品なのだけど、それでも、作品の構えとしてある野心のようなものは感じるし、シビアに追い詰めて考えればダメだとは思うけど、まったく面白くないというわけではないとは思えるような作品ではあった。でも、『ビフォア・ミッドナイト』は、なんというのか、俳優のレッスンとしてのエチュードを延々と見せられているような感じの退屈さ感じてしまった。いろいろと「浅さ」ばかりが目についてしまう、というか。
●『SPEC〜結(クローズ)』漸ノ篇、爻ノ篇。それが「SPEC」でありさえすれば、多少作りが粗くても、ネタが尽きていても、完成度が低くても、戸田恵梨香加瀬亮竜雷太栗山千明がそれぞれのキャラとして出ていて、今までのルーティーン通りにつくってあるのならば、それだけでそれなりには面白いだろうし、ある一定の満足を得ることは出来るだろう、と、観る前は思っていた(はじめから、すごい傑作を期待しているわけではないし)。要するにぼくはこのシリーズのファンなのだ。
しかし、これはもう「SPEC」とは言えない全然別のシロモノになっていた。せっかくのキャラの面白さを生かすことを忘れているし、ネタをあくまで「ネタ」として軽薄に戯れるように取り扱う軽さといい加減さを前面に出しつつ、その背後にもう少し大きい(シビアな)世界観を透けて見えさせるという作品の基本的なタッチも忘れられていて、たんに、ベタな90年代風終末論的物語の超劣化バージョンみたいになってしまっていた。これを製作した人たちは、このシリーズのどこが良かったのか、何故、ここまでシリーズが持続したのかということを、完全に見失っているんじゃないかと思ってしまった。とても残念な完結編だった。
(「SPEC」シリーズは、椎名桔平が出なくなって、代わりに向井理が出るようになってから、方向を間違いはじめた気配が見えだすという気がする。)