●いつも気になるのだけど(どうでもいいと言えばどうでもいいけど)、「賞をとる」というのは日本語として正しいのか。賞は「受ける」もので、だから受賞というのではないか。「賞」の能動性は受賞者にあるのではなく授与者の方にある。自分から能動的に応募したものが受賞した場合は「とる」とも言えるかもしれないが、ノーベル賞とか芥川賞とかは、向こう(権威)が勝手にノミネートして、勝手に賞を決めて、受賞者は、それをありがたく頂く、か、そっちがそう言うなら貰ってやるよ、というものだ(だから、そんなもんいらない、と言うこともできる、受けるか拒否するかということについての能動性は受賞者にある)。「賞をとる」という言い方にどうしても「嫌な感じ」をもってしまうのは、賞を目的化しているニュアンスがあるからだろうか。賞は「ご褒美」であり「お墨付き」であって、それはやはり「もらう」もので「とる」ものではない。
(これもエアリブ的に読まれる可能性があるのか。この話は山下さんの芥川賞受賞とは何の関係もない一般的な話で、「賞をとる」という言い方を聞くたびにいつも違和感をもつというだけの話です。)
●逆に言えば「賞を受ける」ということは、授与側の権威を認めることを意味する。賞は受けるが権威は認めない、というのは理屈が通らない。賞を与えるという時、受賞者より授与者の方が「偉い」ことが前提になっている。ご褒美やお墨付きは位の高い者が低い者に対して与える。だから、例えばぼくが勝手に「古谷賞」をつくって誰かに与えるとしたら、それはかなり失礼なことだと言える。ぼくがある作品を「面白い」と思う時、それは少なくともぼく自身よりは「高いところ」にあるものだからで、上から目線で「評価する」ものではない(「作品を擁護する」という言い方も、ぼくには上から目線に感じられるので使えない)。これは基本的なことであり重要なことで、たとえぼくがなんとか賞の選考者だったとしても、そのことは変わらない。これは矛盾することなのか。でも、賞の権威は、選考委員にあるというより、運営団体や賞そのものにあると考えられる。選考委員は賞の権威のために奉仕する者でしかないと考えられる。