●例年になく早く梅雨入りしたのに、梅雨入りしたとたん雨が降らなくなるというのは、どこか、早熟な才能の予想外の伸び悩み、に似ている気がする。
●『バイロケーション』(法条遥)を読み返していた。昨日の日記に書いた西川アサキさんの論考と絡めて考えれば、この小説もまた「この私」をどうするのか?、という話だと言える。唯一の「この私」などあり得ないにもかかわらず、唯一の「この私」から逃れられない。おそらく「死の恐怖」とはこの両義性のことではないか。そして、『リライト』(法条遥)は、同様の主題を「バイ…」とは真逆の視点から書いている。この二つの小説を合わせて読むとき、その主題は一層はっきりみえてくるように思う。
『バイロケーション』について。
http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20130322
『リライト』について。
http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20130402