●寒いし、雨だし、原稿も書かなくちゃいけないのに、新宿までビデオとDVDを返しにいかなくちゃいけないのだった。2日も延滞している。新宿まで行くとジュンク堂に寄って散財してしまうといういつものパターン。「ART CRITIQUE」と「photographers’ gallery press」とマラブーを買った。
●夜中、目が覚めて、眠れないので、。「ART CRITIQUE」をパラパラみていて、市田良彦のインタビュー(「ネグリで何を語れるか?」)が面白かった。ネグリのことは何も知らないし、ランシエールについて書かれた本はぼくにはあまり面白いとは思えなかったのだが。
《スローガンというのは、大きくいえば、そのときの世界認識が一言で凝縮されている言葉でしょう。正しいスローガンという言い方をみんなしていたけど、響くものを持っている言葉を出せたか否かで正しいかどうかは決まる。》
《党の簡単な定義は、「世界認識」によってつくられる組織、ですよ。要するに、個別の限定された地政学的な条件などを全部超えましょう、という話なんです。世界的な共通性を持ちましょう、と。》
《代表制、文化相対主義国民国家論、主権を重視しましょうという考え方、全部セットですから。つながっていると思います。物事をコンセンサスに向かって管理しましょう、とそういう話にしかならないと思います。》
《倫理主義も文化相対主義とほとんどイコールだと思っています。表象不可能性は、哲学的には、普遍的なものとして主張されます。倫理主義というのは、普遍主義の一ヴァージョンとして僕が敵視しているものと言っていいでしょう。僕としては、ああいう普遍主義はいけない、違う普遍主義でいきたい。倫理は積極的な文化相対主義は名乗らず、あくまで普遍的なディスクールとして主張されるけれども、倫理的普遍主義はダメなのではないか、ということですね。》
《質問「そこで倫理主義ではない普遍主義とおっしゃるものは、ネグリが言う「コモン」とも近いと思うんですが、コモンというのは何なのでしょうか。マルチチューードの特異性がコモンにおいて発露する、というのは表現としては美しいんですけれども……。」
それはどこにそういうものを見出すかという話で、どれだけ人間の想像力を信頼するか、という話に結局なってしまいますけどね。》
《でもアメリカのポップカルチャーなんかではそういうのをリアルに感じられるのではないですか? ハートなんかは若いしアメリカにいますし、差異をもちつつコモンが拡大してゆくものこそ、ポップカルチャーですよ。流行というのはそういうものだといっていいかもしれません。》
《フランス語のentendreというのは、話を聞くというのと、理解するという、両方合わさっているわけで、それが第一番目の見えない線引きをしている。お互い話してなんとかしましょうという以前に、あの人は言葉を話しているのか単にブツブツ言って動物のように鳴いているだけなのか、線引きがすでにある。
でもそれは想像力を拡張しましょうという話でもあるわけです。彼らも何かを言っている。言葉を理解しようがなかったらコンセンサスをえようがないけれど、でも何かを言っている人たちはいる。何かを「言っている」と感じること自体が、いわば「コモン」だと言ってもいいわけです。》
●お知らせ。郷正助さんから、武蔵美の芸祭で作品を展示するというメールをいただきました(http://geisai.jp/search/view.php?id=320)。期間は10月30日から11月1日までで、場所は、武蔵野美術大学の、2号館411号室だそうです。絵ではなく、立体作品だということです。
あと、武蔵美周辺で行われる「ギャング・エイジ」という展示にも参加するそうです(http://one.freespace.jp/scpscp/index.html
)。こちらは11月15日から11月25日までで、郷さんは武蔵美の中央広場でインスタレーションをするそうです。