●立川シネマシティで『ワルボロ』(隅田靖)。この監督は『ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎行進曲』で助監督としてはじめて映画の撮影に参加し、その後二〇年、セントラル・アーツの仕事を中心にやってきた人だそうで、そのような人の監督デビュー作が、黒沢満プロデュースの不良(ツッパリ)モノだということを「映画芸術」を読んで知り、映画版(那須博之版)「ビー・バップ・ハイスクール」シリーズに半端ではない執着をもつぼくとしては、これは絶対観に行くしかないと思って観た。予想以上に素晴らしくて、観ている間じゅう、興奮したりドキドキしたり泣いたりと、感情が動かされっぱなしだった。いまどき、こんな映画が成立するということだけで凄い。一直線にガンガン突き進んでゆくような勢いがあると同時に、細かい丁寧な描写もあってそれが厚みとなっているし、けっこう複雑な不良たちの勢力分布も、勢いやリズムを殺すことなくちゃんと理解できるようになっている。
物語の設定としてはおそらく七十年代後半くらいだと思うけど、映画としては、八十年代の日本映画風の感じで、古いといえば古い感じの映画なのだけど、その古さは、たんに感覚が古いということでも、ノスタルジックに古さを狙っている(かつてのプログラムピクチャー風をアート的に再現するとかいうような)わけでもなくて、その「古さ」を強引に現代において成立させてしまおうという感じで、その実直で強引な力技がこの映画の勢いにもなっているように思う。感覚としては古いんだけど、その「古さ」が現代としてちゃんと成立している、という不思議さがある。(例えばこの映画の台詞はおそらく同時録音ではなくアフレコで、俳優のアクションと台詞とに微妙にズレた感じがあって、これがちょっと古い感じで、最初それに軽い違和感があったのだが、次第にそれが効果的に使われてるように思えてくる。特に、卒業式でのコーちゃんと山田との教室のシーンでの、コーちゃんの去り際のオフぎみの一言など、アフレコ的なズレのなかだからこそ上手くいっているのではないか。)
この映画の、虚構における現実との距離のとり方が、なんとも東映風で、その感じも古いと言えば古い。例えばこれは中学生の話ということになっているのだけど、登場する俳優はどうみても中学生には見えない。それでも「中学生」ということに「なっている」。(昔、東映で『ドカベン』が映画化された時、高校野球の話なのに、俳優は平気でおっさんが使われていたりした。)中学生の身体はやはり中学生によって演じられなければ嘘で、あきらかに二十歳を過ぎていると思われる松田翔太は中学生には見えない。(まるで花形満のように、当然のように車を運転している中学生もいるし。)しかしここではそのようなリアリズムは問題とされない。いわば登場人物はマンガやアニメのキャラクターとそれほど大きくは違わない。あるいは喧嘩も、どうみてもそこまでやったら死んじゃうでしょうという喧嘩を、彼らは毎日のように繰り返す。ボコボコにされても翌日には復活している。そうとう重傷で病院に入院しても、すぐにそんな怪我はきれいに治ってしまう。(死のリアリティは排除される。)この映画での喧嘩は、抽象的な次元にある純粋なアクションとしてある。(このような意味で、おそらくぼくにとって「ビー・バップ」的な世界は、幻想のユートピアみたいなものなのだ。)しかしそれでも、喧嘩はあくまで生身の身体をもった者によって行われる。そこには過度に(マンガ風に、あるいはCGなどを使って)誇張された描写はなく、実際に人がそうするように、殴ったり殴られたりする。つまりアクションという次元では、あくまでリアリズムが貫かれる。この点が外されてしまうと、この世界はまったくの作り事になってしまう。人が、逃げたり追いかけたりし、殴ったり殴られたりするということの単純なリアルさ。そこでの恐怖や興奮のテンション。チョーパン合戦ではじまるこの映画は、殴り殴られる身体を捉えるということにおいてはケレンを排してリアルなのだ。この一点によって、この映画の強引なまでの勢いが支えられていると思う。
あえて文句をつけるとすれば、最後の喧嘩のシーンでの不良たちの人数がいかにも貧弱だということだろう。これは予算的にどうしようもないのかも知れないのだけど。どう考えても学校には見えない場所に「卒業式」という看板が掲げられていて(この場所が凄い)、そこに「錦組」の六人(この六人の描き分けが素晴らしい)が集まり、喧嘩に向けて歩き出すシーンは、うわーっ、きたきた、という感じですごく興奮するのだけど、それを待ち構える、立川じゅうの不良がかき集められたはずの群衆の人数が、あまりに貧弱なのでちょっとずっこける。あと、山田(新垣結衣)が、あまりに強くて立派な女の子過ぎてしまうので、この女の子の「揺れ」みたいなのがちらっとでも捉えられたら良かったのに、とも思ってしまう。(ヤッコ役の俳優はとても良い。この人は「顔」だけですべてを納得させる。こんなにパンチパーマのきまる人もいまどき珍しいと思う。あと、戸田恵子はちょっと微妙だと思うけど、仲村トオルやピエール瀧などの脇役もとてもいい。仲村トオルという俳優の不思議な「平板さ」がとても上手く生かされていると思う。)
最後の喧嘩のシーンが、凄い場所で行われるのだけど、この場所の凄さが生かされているとは言い難いのも惜しい感じだ。せっかくこんな凄い場所なのだから、この空間をもっと利用して欲しいと観ていて思ってしまった。予算の規模とかも違うのかもしれないけど、「ビー・バップ・ハイスクール」だったら、こういう空間は絶対もっとちゃんと見せたのに、と思うのだった。でもラストでは泣いた。