07/10/14

●おそらくリンチにおいては、イメージ(見ること、見えるもの)は信用されていない。見ることの出来るもの(イメージ)は常に幻想的に歪んでいるし、それが示すのは何かの徴候のみであって、出来事そのものではない。イメージは常に過剰であるのだが、その過剰さによって肝心な何かを覆い隠す。あるいは、見えるものはすべて仮のものでしかないが、それは現実的な何かを「匂わ」せてはいる。『ロスト・ハイウェイ』で、男が自分の目で見ることが出来るものは、妻の過去に関する様々な徴候に過ぎず、見ることのみでは何も決定的な事柄を確定出来ず、妻の殺害という現実的、決定的な出来事は、ビデオテープの映像という、外から(半ば強制的に)やってくるものによってしか知ることが出来ない。男は決してそれを、「自分の目」では見ることができない。
マルホランド・ドライブ』で、映画監督は、だいたいにおいて好き勝手に映画をつくることが許されるが、その中心となる「主演女優」だけは自分で決めることが許されない。それは、何重にも仕切られた部屋の奥に隔離された、黒幕的な小男によって予め決定されていて、映画監督は、自分から切り離された場所で行われたその決定を、ただ受け入れるしかない。この小男の存在は、『ロスト・ハイウェイ』のビデオ映像と同じ位置にある。男は、(自分の意識は知らない)「妻の殺害」という事実を、外側から告げ知らせる映像に従い、自分がやったこととして受け入れるしかない。同様に、映画監督は、どこか知らないところで既に小男によって決定されている主演女優を、自分の意思による決定として、受け入れなければならない。どちらも、自分の意思から切り離されたところからやってくる命令としてしか、自分の行為や意思(現実)を知ることができない。見ることが出来るイメージ(大掛かりに行われているオーディション)は、実は決定的なこととは無関係だ。(この黒幕の小男のいる部屋は、しばしば、『ロスト・ハイウェイ』のビデオ映像のように俯瞰で捉えられている。)
マルホランド・ドライブ』を構成するほとんどの部分が、ナオミ・ワッツ(として仮に形象化されている「ある女」)による幻想なのだが、この幻想-イメージが幻想であることを告げるのは、この世界のなかであきらかに「浮いている」オブジェ、ローラ・ハリングによってどこか知らないところから持ち込まれた、異様な輝きをもつ青いオブジェのみであろう。この外在化された青いオブジェは、ナオミ・ワッツの幻想を解除し、現実へと連れ戻す。この青いオブジェのみが、幻想-イメージの世界で、唯一その外側の現実(ローラ・ハリングの殺害)を示すものであろう。
イメージは常に偽物で、信用できないとしても、その外側から、イメージの信用出来なさを告げ知らせ、それとは別の場所にある現実の存在を知らせるような、イメージとは別の審級が、ビデオ映像であったり、黒幕の存在であったり、異様なオブジェであったり、によって示されていた。しかし『インランド・エンパイア』では、そのような審級を示すような決定的な要素がない。テレビショーの司会者は、黒幕というほどに強い力はない。テレビを観て泣く女は、ただ泣くばかりで決定的な何かを告げてはいない。辛うじてウサギ人間の場面のみが、すべてが信用ならない幻想であるかのようなこの映画の世界の外側に位置していて、外の世界の存在を示している。しかしそれはおそらくある種の「遠さ」の感触を示すのみで、現実的な何かしらの「事件」を意味しているわけではない。
つまり、イメージの外にあるであろう何かしらの現実は、徹底してその徴候としてしか示されない。『インランド・エンパイア』において、イメージがとても軽く(粗雑に)扱われていることは、リンチが本来もっているイメージそのものに対する不信をあらわすものであるのと同時に、その粗雑さそのものがイメージの徴候化(具体性の縮減)の実現としてある。イメージそのものがイメージへの不信を示し、このイメージをそのまま信用するなと告げ、その外(別の場所)に何かがあると告げている。しかしその何かは、信用出来ない(だらしなく増殖するかのような)イメージたちの関係によってしか知ることは出来ない。
●顔はおそらく、他者の存在の感触を触知させる最も端的な記号であろう。リンチの極端な顔のアップは、顔に近付くことで他者の内密性にまで触れたいというような、淫らな欲望を示すものであろう。しかし、顔に近付き過ぎることは、顔を皮膚の肌理と起伏へと還元してしまい、その人物の同一性や固有性の記号としての「顔(イメージ)」を崩壊させる危険がある。リンチのどアップは、他者を欲望することがそのまま他者を破壊することと地続きであることを、生々しく示しているように思う。そしてリンチの映画はいつも、そのことをこそめぐるものだろう。だからこそその物語が常に、セックス、裏切り、暴力、殺害をめぐるものになってしまう。