07/10/28

●本を読んでいて何かを思いつく。あるいは、そこに書かれていることとはまったく別のこと(しかし、なにかしら繋がりのあること)を考える。その時、その考えにはとても手応えがあり、リアリティがあるように感じられる。しかし、そのまま続けて本を読んでいると、2、3ページ後には、その2、3ページ前に考えていたことを忘れてしまったりしている。前のページに戻って、考えが浮かんだ時に読んでいた部分を読み返してみるが、思い出せない。なので、今度そんなことがあったら、本の余白にでも、思い出すための導きとなるようなメモを残しておくことにする。だが、そのメモをみても、考えの外枠のようなものは思い出せても、そこで感じていた手応えやリアルさまでは再現できない。結局、夢の感触を目覚めた後では完全には再現できないのと同じように、ある「考え」も、それが過ぎ去ってしまった後には完全には再現できない。(だが、まったく関係のない時に、ふっと蘇ってきたりもする。)
「考え」を完全には再現できないとしても、その「考え」をある程度は表現(把捉)出来ていると思われるような「文」を組み立ててみることはできるのではないか。そう思って本を置き、頭のなかで言葉を組み立てようとする。だが、夢を言葉にしようとすると、「言葉にする」という加工の過程で必ずある変形が生じるのと同様に、「考え」にも変形が生じてしまう。そして、一度言葉として成立させてしまうと、その言葉への加工の前にあった原-感覚へは、ほとんど戻れなくなってしまう。とはいえ、言葉にするという過程(時間)によって、あらたに加わることもあり、それによって「考え」の密度が増すこともある。
と、こんなことばかりやっているので、最近、まったく本を読み進み、読み終わることができない。