●「思想」2017年12号に乗っているE・ヴィヴェイロス・デ・カストロのテキスト(人類学における「変形」、「人類学」の変形)には、はっきりと「相関主義に対するオルタナティブ」という語が書き込まれていて、もう、人類学と哲学とは完全に相互乗り入れしているのだなあと感じた(元々、ドゥルーズを参照している人ではあるけど)。なおここで言われる「動物」とは、ポストモダン的動物(化)とはまったく別種のことがらだ。
《(…)「われわれ」の哲学(…)において生じた言語学に「背を向ける」こと、あるいは少なくとも人間的な現象のパラダイムとしての言語を放棄するに等しい、いわゆる「存在論的転回」が、カントによるコぺルニクス的転回から派生した人間中心的相関主義に対するオルタナティヴへの関心を示すことに驚いてはなりません。またさらに、これまで認識論ないしは範疇論的なものに縮約されてきたものの再存在論化というこのプロジェクトにとって、先住民の形而上学が観念の宝庫を差し出していることに、驚いてはならないのです。問われているのは、自我のうちに配置されてきたものを世界の中に再配置することなのですから。》
《非人間的なもの、世界の物質性の概念的(あるいは精神的といわれる)潜在力、事物の行為能力、動物の意識と(法的なものも含めた)人格性などの全ては、数世紀に及ぶ、自己亡霊化の上に成り立つ政治神学の支配の後に、人類を形而上学的に再動物化する半ば怒りに満ちた企てのうちにあります。》
《先住民の形而上学は、人間性とは人間と動物に共通する原初的条件であると断定します。われわれのウルガタ的進化論など、その真逆にあります。先住民の形而上学は、「我思う、故にわれ在り」という独我論的で二元論的な原則に、「それは在る、故にそれは思う」というパースペクティヴ的汎心論を対置します。その汎心論によって、思考は他性と関係という基本的原理に直接的に打ち立てられ、他者の感覚的な実在性に依存するようになります。》
●とはいえもちろん、ここで言われているのは「先住民たちに学べ」という単純なことではない(この点についてはエリー・デューリングも書いていたが)。重要なのは、相互の「変換」であり、相互作用、相互変化である、と。そして、その相互変化を通じてのみ、相互の文化がお互いを「発明する」ことになる。この相互作用によって、相互の文化を反転させる(変換を可能にする)第三の項(軸)としての「分析的切断」が、共同の場として「制作」されるのだ、と。
パースペクティヴ主義とは、たんにアマゾニアの思想だ(彼らはそう考えている)というだけでなく、人類学とアマゾニアとの関係(相互作用)が、すでにパースペクティヴ主義的であるといえるのだなあ、と。
《(…)われわれができること、なさねばならぬことは、彼らとともに思考することです。要するに、彼らの思考を真剣に---その思考の差異を真剣に---受け止めることです。》
《つまりは、西洋の人類学を先住民の人類学を経由して考えることであり、その逆ではないのです。》
《人類学者の「文化」(ないしは「理論」)と現地人の「文化」(ないしは「生」)のあいだの差異は、これら「諸文化」それぞれの「内的」な差異についての存在論ないしは認識論的優位性の占有につながるとは考えられません。少なくともその差異は、言説上の境界の両側にあるいくつもの差異の制約以上でも以下でもありません。》
《(…)連続するトポロジー的変形によって、人間という種に可能な(そして同じ道を通って別の種にまで至ることのできる)、概念図式の差異、思考のスタイル、生の形式のすべてを走査できるのに気づくときには、それら---スタイル、図式、形式---は、普遍的な変形の流れの結晶点---歴史的に一過性で偶有的な点---にほかならないということなのです。》
構造主義が、『野生の思考』にはじまり『神話論理』によってピークを迎えるまでに、根本的な変形を経ていることをないがしろにすべきではないでしょう。その変形において、特徴的な理論上のオペレーターが体系の概念から変形の概念に代わったのです。ひとつの構造は、変形の何らかのアレンジ、あるいは編曲でしかありません。》
《こうして人類学の先住民的変形が主題となります。それは、先住民の「人類学的」変形の反転像や相関物になるでしょう。》
《あらゆる変形の対象は常に別の変形であり、社会文化的に前もって存在する実体ではないという原理に根拠があります。》
《同一性は差異の特殊事例、タルドに倣えば、最も珍しい事例であるという観念。》
《(…)文化内の過程と文化間の過程の区分もまた同じように、相対的で関係的なものであり、唯一の例外を除いてはなんら実体をもたないものとして見なされています。その例外は、ある問題に適した位置をとるために要請された分析的切断から与えられたものです。非常に重要な補足ですが、その分析的切断は理論上のものではなく、「民族誌的モーメント」という具体的かつ生きられた相互作用において制作されているのです。つまり、諸文化は互いに出会うときに互いを発明するのです。それも、「理論的」であるだけでなく、人類学者と現地人の相互作用という、実在する政治的な実践においてのことなのです。》
《一般的な教訓としては、比較による変形の諸項の間の非連続性ないし「示差的隔たり」の確立は---そして比較とは変形の特殊なケースである---、差異のあいだの連続性を排除しないどころか、むしろ反対にそれを前提とするのです。》
●すこし唐突かもしれないが、これを書き写していて、『ゲンロン0』(東浩紀)の最終章で山城むつみと番場俊による『カラマーゾフの兄弟』の読解について書いているところを思い出した。以下、『ゲンロン0』より引用。これは多分にパースペクティヴ主義的な出来事ではないだろうか。というか、パースペクティヴ主義的に書き直す(考え直す)ことが可能ではないか、と。
《山城と番場によれば、「少年たち」の章で注目すべきなのは、じつはジューチカという犬の「復活」の場面である。イリューシャはもともとも野犬の一匹をジューチカと名づけてかわいがっていた。けれどあるとき、スメルジャコフに唆され、針の入ったパンを食べさせてしまう。ジューチカは鳴き叫んで走り去り、そのまま消えてしまった。病床に伏せたイリューシャは、そのことをずっと気に病んでいる。そこでコーリャは、そっくりな犬を探しだし、イリューシャに贈ることにする。発見された新しい犬は、ペレズウォンと名づけられ、ジューチカではないことになっている。しかしイリューシャは、ペレズウォンをひとめ見て、それがジューチカだと確信し、たいへん喜ぶことになる。》
《ではなぜこの話がイワンの議論への反駁になるのか。それは、イワンの問題提起が、たとえ未来に救済が来てもこの子どもの苦しみはけっして癒えることがない、という存在の固有性に関わる問いとしてなされていたからである。ジューチカとペレズウォンの寓話は、まさにその「この」性そのものが解体される瞬間を描いたものだと考えられる。》
《イリューシャはジューチカを愛していた。そのジューチカはあのジューチカでしかない。そのかぎりでジューチカが消えた傷は癒えることがない。実際にイリューシャも当初は、ほかの犬を飼おうという提案をことごとく退けていた。》
《山城と番場がともに指摘するように、イリューシャがペレスヴォンはジューチカだと信じたのかどうか、また実際にペレスヴォンがジューチカなのかどうかはもはや重要ではない。重要なのは、ペレズウォンがペレズウォンでありながら同時にジューチカでもありうること、イリューシャがそのような可能性に気づいたことである。ジューチカがジューチカだったこと、考えてみればそれそのものが偶然だった。そもそもそれは野犬の一匹にすぎなかった。だからぼくたちは、ジューチカが死んだあとも、もういちどジューチカ的なるものを求めて新しい関係をつくることができるし、またそうすべきである。(…)山城は次のように記す。「ペレズウォンがジューチカであることによって、それ[イリューシャとコーリャの関係]がまったく新しい別の関係、カラマーゾフ的な兄弟愛に置き換えられたのだ。森有正が「復活」と呼んでいるのは、ペレスヴォン、コーリャ、イリューシャの「邂逅」によって生じた、出来事としてしてのこの新しい関係のことなのだ」》