●久々に都心に出て、いろいろ観た。
●国立近代美術館の熊谷守一展の充実には圧倒された。とにかく作品がたくさんあって、今まで(図版などでも)観たことがないものもかなりあった。初期から中期の作品からは、クマガイの試行錯誤の感じがかなり強く伝わってきて、ドキドキするというか、手に汗握るという感じで観た。まるでルドンみたいな絵があったのが意外だった。1935年から40年くらいの時期に数枚あった、クマガイにしては珍しい薄塗りの風景画が、その後のブレイクスルーに繋がる決定的なきっかけになっているように感じられた。50年以降の作品は、ただひたすら、恐ろしいほどに冴え冴えとしている。70歳を過ぎてからのブレイクというのはセザンヌよりも遅咲きだ。あと、作品のサイズ(一貫した小ささ)というのがすごく重要だということを改めて思った。
(ただ---啓蒙的というよりは---過剰に誘導的なキャプションの文章についてはやや疑問に感じた。)
ピカソマティス以降の美術の流れは大ざっぱにみて三つに分岐したように思う。(1)最終的にアメリカ型(グリーンバーグ的)フォーマリズムで極端化されるような、メディウム純化(自己言及性)への方向、(2)デュシャン的な、網膜的絵画の否定、コンセプチュアリズム、(3)シュルレアリスム的な---無意識やオートマティズム、不純な媒介物などを介した---イメージのメディウム横断性や可塑性の強調。(2)と(3)は近代絵画の否定であり、ピカソマティスを継承したのは(1)のみであろう。
でも、(1)と(3)は、メディウムとイメージのどちらに優位を置くのかという意味で相補的であり、(2)はその両者への批判であるとも言える。だから、現在では(2)からの展開が最も幅を利かせている。そして、(1)による継承は、あまりに偏った---極端な方向に振れた---継承であったために、近代絵画的な流れは進化の袋小路に入った末に、現在では事実上消滅してしまったとさえいえる感じになっている(それと入れ替わるようにポップな資本主義的、記号的イメージが出現する)。しかし、熊谷守一の晩年の作品は、近代絵画を継承、展開しながらも、(1)とは異なる方向性があることをはっきり示しているし、また、その具体的な実践でもあると思う。
(これはあくまできわめて雑な分類であり、たとえば「じゃあラウシェンバーグは何処に位置するの?」と問われると困ってしまう---(2)と(3)の両者から太いつながりがあり、でも(1)からの細い繋がりもある、という感じか---というくらいのものだ。)
ピカソマティスが追求した、絵画が2Dであるからこそ4D的でありえるという側面(4D的な空間性)を継承したのは、実は絵画を否定した(2)のデュシャンの方であり(デュシャンは絵画---視覚性---とは違った形でそれを追求した)、アメリカ型フォーマリズムもシュルレアリスムも、その点(視覚的空間の複雑性)ではピカソマティスより明らかに後退してしまっているとぼくは思う。ここには奇妙なねじれがあるのだが、ここでねじれないで、そのまま受け継いで絵画によってピカソマティスがやったことよりも先に行こうとしたのが、最晩年の熊谷守一であるように、ぼくには思われる。
(あくまで雑なまとめ方でしかないのだが)アメリカ型フォーマリズムは「地」にこだわりすぎ(「図」の通俗性、不純性を排除しようとしすぎ)、シュルレアリスムは「図」(のもつ横断的な力)にこだわりすぎたために、地と図とが常に不可分であることそのものを通じて二次元であることの超三次元性を追求していたピカソマティスよりも後退したのだとぼくは思うのだが、クマガイはその不可分性や課題を忘れる(手放す)ことがなかったと思う。
(アメリカ型フォーマリズムが、図と地の不可分性をメディウムスぺシフィック---純粋な場=メディウムそのものの提示---へと翻訳-還元してしまったのは、グリーンバーグのカント主義---感性の先験的形式の重視---のためだと思われる。対して---美術における---シュルレアリスムは、イメージ(図)の文脈・支持体(地)への依存性を軽くみすぎてしまっていたのかもしれない。繰り返すが、これはすごく雑なまとめだ。)
((1)(2)(3)のすべてと何かしらのつながりがあるという意味で、ラウシェンバーグピカソマティスから後退しているわけではない、ともいえる。)
イメージの横断性は「図」の横断性というだけではなく、ある「地と図の関係」における「図」が、まったく別の「図と地の関係」における「図」へと転生することであろう。そこに、ピカソマティスやクマガイの絵画が「具象」であることの意味がある。それは例えば、「具象的イメージ(何かを描くこと)」の項に「固有性」を代入して考えれば、(1月17日、18日の日記で書いた)『カラマーゾフの兄弟』においてあらわれる、「イリューシャ-ジューチカ-スメルジャコフ」という三者の関係のなかで(イリューシャにとって)失われた「ジューチカ」という固有性が、「イリューシャ-ペレズヴォン-コーリャ」という新たな三者関係の成立によって、「ジューチカ=ペレズヴォン」として「復活する」、といった出来事と同値であるようにも思われる。具象的イメージ(描かれる出来事)は、ジューチカ=ペレズヴォンという形で絵画のなかに転生(再生)する。
その時、イメージ(類似性)はその転生を媒介するものとして働くか、あるいは、その転生の結果として、イメージの「同一性」が事後的に生まれる、と考えられるのではないか。
デュシャンは絵画を捨てたが、クマガイは絵画というメディアのコンパクトなありようが(作品の小ささによってスケール感の底が抜けることが)、そのようなことに---イメージを捨てることなく、イメージにおける図と地の不可分性とその転生性、そして二次元であることの超三次元性---ついて考えるのに有効だと思っていたのではないか。