世田谷美術館ブルーノ・ムナーリが面白かった。
ムナーリ(1907年生まれ)は、ポロック(1912年生まれ)やニューマン(1905年生まれ)と世代が近くて、実際、第二次世界大戦後に制作される絵画においては問題意識を共有しているといえる。《(…)ムナーリは、それまでの絵画が画面上にある形を際立たせるために背景や地を設定してきたことを否定し、画面上のすべての色彩と線が同じ働きをもつことを、《陰と陽》で目指したのでした》(図録より)。しかし、ポロックやニューマンにおいてこのような問題意識は、あくまで「絵画」の問題であり、いわばグリーンバーグ的なメディウムスペシィフィックという言説の圏内にあった。一方、ムナーリにとってこの問題はメディウムの問題ではなくあらゆる「芸術」に共有される問題の1つのバリエーションであって、「芸術の問題」が絵画というメディウムにおいては「このような形であらわれてくる」ということにすぎない。
ここには2つのモダニズムがあるように思われる。一方に、メディウムスペシィフィックなモダニズム、もう一方にメディウム横断的なモダニズム。ある作品を問題にする時、その「作品」を成立させている参照枠を含めて問題にすること。あるいは、ある作品の内部に、その作品を成立させている参照枠そのものが既に含まれているような形(構造)で作品が存在していること。作品の内部に、オブジェクトレベルとメタレベルとをあらかじめ意識的に入れ子にしていること。モダニズムの作品の特徴を、以上のように、作品とはその作品を通じてそれを作品として成立させている参照枠(地)を意識させるようなものだ、という風に仮定するとすれば、その問題を、ある特定のメディウムの固有性を前提として、その内部で展開させればメディウムスペシィフィック的な展開となり、逆に、そうであるからこそメディウムの固有性は前提にできないのだと考えると、メディウム横断的な展開となるだろう。
作品とその参照枠、図と地、意味と文脈等の問題は、あらゆるスケール、あらゆる文脈において、フラクタル的に発見されるがゆえに、メディウムの固有性は仮のもの、いわば様々な社会的な(異なるレベルの)コンヴェンションの1つであり、新たなコンヴェンションの設立-仕切り直し(あるいは、それに向かう美的な挑発や誘惑)こそが芸術の役割だとすれば、自然と後者の考え方となるだろう。
大戦後のアメリカにおいては、グリーンバーグの言説に先導されるような形で、メディウムスペシィフィック的なモダニズムが主流となる時代があり、それにより、たとえば抽象表現主義からミニマリズム、コンセプチュアリズムへの展開、あるいは、フラットベッド型絵画やポップアートの登場によるモダニズムの衰退などという美術史のストーリーが描かれる。ここでは、メディウムスペシィフィック的なモダニズムモダニズムの主流ということになる。
しかし、ドイツにはバウハウスがあり、オランダにはデ・ステイルがあり、イタリアには未来派の流れをくむムナーリがいる(あるいは、日本には恩地考四郎がいる)という風に考えてみれば、むしろアメリカにおけるメディウムスペシィフィック的なモダニズムは特異的なものであり、メディウム横断的なモダニズムの方が一般的だとも考えられる。そもそも、モダニズムというのはメディウム横断的な性質のものなのではないか。ピカソマティスメディウム横断的であった。
(フランスのシュポール/シュルファスは、メディウム横断的なモダニズムというより、あくまでポスト・メディウムスペシィフィックとしてのメディウム横断性であって、メディウムスペシィフィック史観があって、そのなかで成立するメディウム横断性ではないかと思う。)
とはいえ、メディウムスペシィフィック的な傾向は限定的(あえていえば「狭量」)であることによって、強い集約性と推進力が生まれ、それによって高い完成度の作品が多く生み出され、見えやすい形で現れたが、メディウム横断的な傾向は、分散的であり、社会のなかに拡散することで埋没しやすく、個別の作品としては強さを欠き、見えにくくなるということもある。メディウムスペシィフィック的なモダニズムは、いびつなものであるがゆえに際立った作品を生産し得たのかもしれない。
●この展覧会で何より面白かったのは「本」だ。絵画でもあり、彫刻でもあるような、中途半端な(あるいはハイブリッドな)二・五次元としての「本」という形式には、美術作品としてはまだまだ可能性があるのではないかと感じた(触発された)。
●あと、ムナーリにおける「機械」のイメージが未来派っぽくないところが面白い。ムナーリの機械は、自然のなかで偶発的に成立してしまった反復性や、すぐにでも崩れてしまいそうな弱いつながりによってかろうじて成立している装置みたいなイメージだ。あるいは、まったく別の因果的連関や来歴をもつものが、偶然に隣接してしまったことによって起こる出来事みたいな感じ。