07/10/18

清水崇の映画をDVDで何本かまとめて観直した。おそらく、最初のオリジナル版『呪怨』の時点では、たんにホラー的な様々なテクニックや小ネタをやりたかっただけで、それらを一本の作品に纏めるために、あの複雑な構造や、あの家や、伽?子をめぐる物語が考えだされたのだと思う。つまり個々の、バラバラな小ネタが先にあって、物語や構造はそのための方便に過ぎなかったのだろう。最初の『呪怨』では、ただ怖がらせるという「効果」だけが高濃度に圧縮されていて、それらを束ねるための、あるいは、それらがそこから生み出されるはずの根本的な感情や物語がない。だからその「効果」(テクニックや小ネタ)は、それを束ねる軸をちょっとズラしてやるだけでコメディにもなるギリギリのところで成り立っていた。(その方向性は、実際『幽霊VS宇宙人』や『怪奇大家族』などで試みられている。)つまり、おそらく清水監督にとってホラーはかなりの程度「技術」とその応用の問題で、ホラーそのものに対するこだわりはそれほどないのだと思われる。『呪怨』のあたらしさやあやうさは、そこにこそあった。
しかし、劇場版の『呪怨2』(『呪怨』は、オリジナル版の1、2があり、それとは別に劇場版の1、2がある)あたりから、「小ネタ」そのものから、本来繋がらない小ネタを「どのように繋ぐのか」、あるいは、それを「繋ぐものは何なのか」ということに、興味の中心が移っていったように思われた。最初はたんにネタの「繋ぎ」の役目でしかなかった複雑な構成は、ここでは時間的、空間的に隔てられた場所をどのように繋ぐか(あるいは、その繋がらなさをどのように示すか)というより積極的な意味を帯びるようになる。それは、隔てられた遠くからの「呼び声」のような形をとる。例えば、新山千春の部屋の不気味な打撃音や、マグカップが倒れるという出来事は、未来の、死後の自分からの呼び声であり、二階の部屋で眠っている酒井法子を目覚めさせるのは、死んでしまった母親からの呼び声である。この、遠く隔たった場所からの呼び声は、作品に「呪い」とは別の、「愛」といってもよいような人間的な原理を導入し、そこに独自の感情を生起させる。例えば、縁側にたたずむ酒井法子と、まだ生きていた頃の伽?子と少年の姿が一つのフレームに共存し、少年が酒井法子のコーヒーをこぼすことで、二つの時間がふっと触れ合う瞬間などでは、徹底的に呪いが蔓延し、呪いが全てを飲干してしまう『呪怨』の世界には似つかわしくないような、ある強い情感が生まれる。勿論、『呪怨』の世界では、呪いこそが全てに勝利するわけだが、酒井法子は、その呪いさえも愛をもって受け入れるかのようだ。
隔てられた時間や空間が、なにかしらの媒介によって触れ合うということがらが本格的に主題化されたのが『輪廻』であると思う。この映画では、前世と現在、山の中の廃墟となったホテルとそれ以外の空間とが、殺した者の狂気と殺された者の怨念によって結びつけられている。いや、正確には、この映画で隔てられたものを繋ぐのは、狂気や怨念といった人間の感情ではなく、それを超えて作動する世界の原理としての、反復強迫的なメカニズム(輪廻-呪い)であるだろう。とにかくこの映画では、隔てられたものを繋ぐ(隔たったものがふっと触れ合う)ための映画的なテクニックが、これでもかと詰め込まれている。(恐怖よりもむしろ「繋ぐ」ことの方が強く主題化されることによって、作品がちょっとアートっぽくなっている。)だがここでは、愛や情感のようなものはそれほど強くはなく、呪いの原理こそが、異なる次元を結ぶ原動力となっている。一度刻まれてしまった呪いの原理は、時間の外にあって生き続け、時間や空間を歪ませる力をもつ。
だが一方で、この映画では、その呪いの力は、殺された少女(の代替物である人形)による「いつまでも一緒だよ」という声によって形象化されているので、この少女の感情(殺されたことへの怨念であるよりも、殺した父への愛情、しかしこの固着し執着する愛情はほとんど呪いと同義だ)こそが、惨劇の反復(輪廻)を促しているかのようでもある。(あるいは、この少女の兄から、兄の生まれ変わりである映画監督へと渡されるゴムボールは、呪いの原理であるよりも、人間的な意思を感じさせるものだ。)とはいえ、この映画では劇場版『呪怨2』ほどには、人間的な感情や意思は上手く形象化されていない。例えば、ゴムボールははっきりと兄による人間的な意思のあらわれで、それが映画監督に映画をつくらせるのだが、人形や声は必ずしも少女には帰属せず、むしろ非人称化された世界の原理としての呪いに近い。このように異なる「呪い」が混同されていることが、この映画をやや弱いものにしているのかもしれない。
●劇場版『呪怨2』の、市川由衣の短いパートは、ほとんど『インランド?エンバイア』みたいだ。市川由衣が走っていて、ふと振り返ると自分が倒れていて、それを友人が抱きかかえている、というシーンとか、すごく面白い。幽体離脱が、走っていてふと振り返る、という形であらわされるのが面白い。あと、『輪廻』では、廃墟になったホテルの手前にある商店街のロケーションが素晴らしい。鳥居とか。