●『ラビット・ホラー』(清水崇)をDVDで。これは清水崇の最高傑作ではないだろうか。すごく面白かった。これは3Dでつくられていて、2Dで観ても3D的な空間のつくりかた(前へ、というより、奥へ、という感じ)が面白そうなので、出来れば改めて劇場で3Dで観たい。実際に3Dで観たわけではないので予感のようなものに過ぎないが、清水崇はかなり本気で3Dに可能性をみているのではないだろうかという感じ。
高橋洋がよく言っている「恐怖」と「怪奇」の違いというのがあって、「恐怖」は絶対的な自己否定としてあらわれるけど、「怪奇」は一種の幻想であって、恐ろしくて逃れたいのだけど同時にそれは好ましい状態ですらあり得る、と。例えば楳図かずおが恐怖の作家ならば、水木しげるは怪奇の作家だという感じ。そして、高橋洋清水崇の「怪奇」の作家としての資質を高く評価する。この作品はまさに、怪奇の作家としての清水崇の資質が全面開花したような感じがする。ウサギへの恐怖は、ウサギへの愛着(執着)と表裏一体で、だから、相手を殺すことは自分を殺すこととなる。人の「心」は基本的に、過去と現在の区別がないし、現実と幻想の区別もない。怪奇は、そのような部分に作用するリアリティとしてある。そして、この作品は、下手をすると「笑い」へと反転してしまうギリギリ一歩手前で、恐怖というよりじわじわくる「恐ろしさ」としてある感じ。ネガティブなものへの固着と、ポジティブなものへの愛着が、実は全然別のものではないのだ、という感触が恐ろしい。この感触は、悪く言えば「幼稚」と言ってもいいようなプリミティブなもので、しかしだからこそとても強く、潜在的なところで常に作動している感触であるように思う。
この作品では、清水崇高橋洋化も進行している。前作の『戦慄迷宮』にもちょっとそんな感じがあったのだけど、この作品ではさらにそれが推し進められていて、ぼくには初めから最後までずっと、主演の満島ひかりが『発狂する唇』の三輪ひとみとダブって見えてしまっていた。ネタバレになるから詳しくは書けないが、途中で起こる「前提そのものの引っくりかえし」や、「いる/いない」が明滅する構造は『血を吸う宇宙』からのコダマを感じる。ただ、高橋洋の場合は、世界の基底である因果律までが崩壊してしまったなかで、呪いが延々と反復される感じだけど、清水崇では、時間と空間、幻想と現実が入れ子になって、その迷宮のなかに閉じ込められる感じ。
恐怖は、切断、突き放される感じ、無限への無限定な開かれとしてあるが、怪奇は、紐帯の二義性、循環、出口なしの回路に閉じ込められる感じとしてある。だから、同じ「反復」でも、呪いの無限反復と、迷宮のなかでの永遠の循環という違いになる。開かれ過ぎてエントロピーが増大した世界で、呪いの自己反復だけが秩序を形成するというような高橋洋的な感じと、ある循環的な入れ子構造のなかに閉じ込められる清水崇的な感触の違い(『呪怨』は一見前者に思えるし、実際全体の構造はそうなのだが、個々の細部をみてゆくと、後者の匂いが強いことが分かる)。だから、高橋洋的なものではネタバレはそんなに気にする必要がないが、清水崇的なものでは、出来るだけネタバレなしで観た方がよい(構造的な反転が重要になるから)。
逆説的かもしれないが、高橋洋における母娘関係は構造的だが、清水崇では多分に感情的であるようにみえる(高橋洋においては、感情以前に既に関係が決定されている感じ)。それは清水崇にとって感情が紐帯の主題と深くかかわるからではないか。
(この物語は、主人公の隠された過去が明らかにされることで世界が裏返るので、一種のトラウマ物とも言えて、そのように捉えると退屈にも思える。分かり易い落としどころは、この作品が大衆的なジャンル映画としてつくられている以上ある程度は仕方がない。しかしここで重要なのは、トラウマが決して物語の「解(結)」としてあるのではなくむしろ「転」としてある点だ。そこが終着点となっているわけではなく、それをきっかけに、そこからもう一つ、二つ動いてゆくところが重要だ。)
●この作品では、階段を上る途中に納戸があるという家の空間構造が作品の構造と深くかかわる。しかし、現在の住宅事情からして、これはどの程度リアルな感じなのだろうか。規格化された建売住宅の空間が舞台であった『呪怨』のシリーズとは明らかに異なる。しかし、清水崇の作品をいくつも追ってゆくと、その空間の感覚、そして紐帯の感覚(母と子など)は、かなり古典的であることが分かってくる。この感覚にどのくらいの普遍性があるのかは分からないけど、ぼく自身が、子供の頃、実家の階段の途中に隠された出入口があって、隠し部屋というほど大げさではないにしろ、小さな隠しスペースがある、という幻想を、かなり強くリアルなものとして、しかもそれなりに大きくなるまでずっと持っていて、まさにその感覚とぴったりと重なる感じがこの映画にあったことに驚いたのだった。
●ウサギの着ぐるみが校庭を教室の方へと突っ切って歩いてくる。この場面だけで、この映画が傑作だと言ってしまってもいいように思う。