幽体離脱の「実例」について知りたくて、図書館でその手の本を何冊か借りてきて、今、『臨死体験』(立花隆)をパラパラと見ているのだけど、そこに、ロバート・A・モンローという人の話が出てくる。
この人は、四二歳の時に突然、体外離脱の経験をした。そして彼はこの体験を楽しみ、自分で様々な実験を試み(つまり、体外離脱を意識的に何度も試してみて)、それだけでなく、私費を投じて「モンロー応用科学研究所」という体外離脱専門の研究所までつくってしまった人らしい。そして、ほとんど誰にでも体外離脱を体験させられる方法を開発したと主張し、『魂の体外旅行』という著書を出したり、セミナーを行ったりしているということらしい(『臨死体験』という本は94年---地下鉄サリン事件によってオカルト的な想像力が徹底的に抑圧されるようになる、その前の年だ---に出版されていて、現在の感覚からするとかなり怪しい研究や実験もまともに取り上げていたりするという意味で「時代の違い」を感じさせる本だともいえる)。このモンローという人が、今、どうしているのかは分からない(もしかすると「その筋」では有名な人なのかもしれない)。
その方法とは、左右の耳にそれぞれ異なった周波数の刺激を与えることで、「頭は覚醒し、体は眠っている」状態をつくることだという。ヘミ・シンク=大脳半球同調と呼ばれるこの手法で、モンローは特許も取り、これを利用したリラクゼーションCDや、ゴルフのイメージトレーニングのためのCDを発売してもいるという、現世的で商魂逞しい感じもかなりある人だ(これはあくまで94年時点での情報)。そして、この「頭は覚醒し、体は眠っている」体外離脱の前段階の状態を「フォーカス10」と呼び、そこから「ちょっとしたコツ」をつかめば体外離脱は可能になると主張している、と。
《コツというのは、たとえば、“寝返り法”といって、肉体の内部で寝返りを打つようにすると、肉体をそこにそのまま残したまま内部の自分が回転するようにして、肉体から離れることができるという。》
これを読んで、小鷹研究室の「重力反転」の装置を思い出した(下の動画では10:28あたりから)。
https://www.youtube.com/watch?v=nw_frQ_A6VY&feature=share
https://twitter.com/kenrikodaka/status/955405064486641665
この、モンローという人がどの程度怪しい人なのか、そうでないのかは分からないが、横たわった状態での重力反転(の起りやすさ)が、幽体離脱の引き金、あるいは、人にそのような状態を起こさせる基底的な何かしらの条件、と、深くかかわっているという小鷹さんの考えの信憑性は、この事例と照らし合わせてもかなり高いのではないかと思った。
臨死体験』には、このモンローという人の本を読んで実際に試してみた人の話も出てくる。児童文学者のさとうまきこさんという人は、若い頃から度々「金縛り」にあい、それに対してとても強い恐怖を感じていた、と。しかし、後にニューエイジ思想系の本などを読むようになり、金縛りは必ずしもネガティブなものではないのではないかと思うようになる。そして、モンローの本も読み、金縛りの状態の時に「寝返り法」を試してみた、と。
《意識の中で半転してみましたところ、パラリと離れたのです。私はこれを『アジのひらき』になると、自分流に友人に説明しています。一度このコツを覚えると、あとはいつでも『ひらき』になれるようになりました。しかしやはり、前触れとして、金縛り→体の振動がなければ不可能です。だから、モンロー氏のように、いつでもOKというわけにはいきません。》
●『臨死体験』に、いきなりウィリアム・ジェームズの名前が出てきてちょっと驚いた。この本では超常現象と言われるようなものもかなり真面目に取り上げているのだけど、コリン・ウィルソンが、超常現象の「証明」にかんする「ウィリアム・ジェームズの法則」というものを語っている。これ、ちょっと面白い。
《これはウィリアム・ジェームズ(…)がいったことなんですが、どうも、超常現象の証明というのは、本質的にそういう限界をもっているんじゃないか。なぜそうなのか理由はわからないけど、超常現象を信じたい人には信じるに十分な証拠が出る一方、信じたくない人には否定するに十分な曖昧さが残る。ちょうどそういうレベルの証拠しか出ないのが超常現象であると。これを我々はウィリアム・ジェームズの法則といっています。》
この『臨死体験』という本は、臨死体験(あるいは超常現象)は、脳が見せるイリュージョンであるという説と、客観的に「あの世」が存在し、その一端に実際に触れた体験なのだという説とが、どちらも等しい比率で、どちらにも偏りなく検討されている。おそらく、現在、大衆的な読み物としてこのような本が書かれるならば、それは科学的な実在論に基づき(つまり「超常現象を信じたくない人」の側にたち)、八割から九割を「脳によるイリュージョン」説として説明し、しかし、それでは説明し切れない余剰がまだある(故に、あの世や輪廻が絶対ないとは言い切れない)、という形に納めるのがバランス的に「常識的」だろうと思われる。それは、九十年代前半と現在との「科学(科学的実在論)」というものの(科学やテクノロジーの進歩に伴う)社会的な地位の変化と、それに伴う一般的な死生観の変化を示しているように思われる。
●それにしても、幽体離脱なども含む「臨死体験」をした人のほとんどが「死への恐怖」がなくなる、というのはとても興味深い。
●(余談だけど、95年以降に大衆文化やサブカルにおいてオカルト的想像力が徹底して抑圧されたことと、九十年代後半のJホラーブームとは何かしら関係があるのではないか。抑圧されたオカルト的なものは、ホラーという別物になって回帰した、みたいな感じで。同じく「霊的(スピリチュアル)」なものを扱うとしても、オカルトは、科学(疑似科学)によってそれを体系づけ、それによって世界を説明しようとするが、ホラーはそれをあくまで現象としてのみ扱い、幽霊や呪いに科学的根拠はなく---理論的に深追いはされず---除霊は特殊能力=個人的才能であり、対処療法(民間療法)なので、体系化されないし世界を説明する原理にはならない。故に、オカルトは集団的に信仰され---オウムのように---(反)社会的な勢力となり得るが、ホラーは個人的な生活圏内---感情、近い人間関係、土地---に留まり、社会的に影響力のある---求心力のある---大きな集団へとは発展しにくい---ようにみえる。ローカルな土地を越える「呪い」の広範囲な伝播も、現象の伝播であり、世界の説明原理---思想---の伝播を伴わない。オカルトは「世界(言説)」を問題にするが、ホラーは「世界(言説)」を問題にしない。だから、90年代後半にオカルトは許されなかったが、ホラーならば許された、と。)
(オカルトが社会的なものと積極的にかかわるというより、社会的なものとの関係を「上手く遮断できない(必然的に巻き込み、巻き込まれてしまう)」という方が正確なのだろう。ホラーは、社会を上手く---適切に---遮断することができる。ホラー的出来事が、せいぜい「刑事事件」程度の社会的巻込みしかもたないのに対し、オカルト的な妄想は、国家的秘密組織やFBIの陰謀、歴史の修正などというところに絡んでいく。)
(Jホラー的な新しさ---『リング』や『呪怨』的な新しさ---は、「呪い」を特定の人間関係や地縁的因果から引き離して---コピー可能なビデオテープや無個性な建売住宅、あるいは「学校」という平均化された共通体験の場などを媒介として---果てしなく伝播するものへと開いたところにあるように思われる。この「呪い」の「地縁的因果性(貞子の誕生)」と「因果を超えた伝播性(呪いのビデオ)」の関係は、ヴィヴェイロスの言う「強度的出自」と「悪魔的縁組」との関係とパラレルと言えるかも。)
(『邪願霊』が88年、「ほんとうにあった怖い話」が91年。この辺りがオリジナルなものとしてのJホラー---後に小中理論と言われるようなもの---のはじまりであり、ジャンルの黎明期としてある。そして、96年の『女優霊』でJホラーの本格的な盛り上がりがはじまり、99年の『リング』『呪怨』でピークとなる。)
(しかし、Jホラーの代表的な作家の一人である高橋洋---『女優霊』も『リング』も脚本は高橋洋---は、実はオカルト的想像力の人なのだと思う。『恐怖』は、マッドサイエンティストが「霊的進化」という世界の革命を目指す話でもあり、周りに信者とも言える人々を配している。例えば、対して『CURE』の萩原聖人は、あくまで特異的な個である。黒沢的なマッドサイエンティストは孤立しているが、高橋的なマッドサイエンティスト的=パラノイア的な妄想は、社会的なもの、集団的なもの、「世界(言説)」的なものを巻込み、そこにかかわらざるを得ない。例えば『血を吸う宇宙』や『狂気の海』など。『リング2』で貞子の呪いは、霊媒師の力というより、(疑似)科学的な装置=理屈によって消去される。)
(追記。これは高橋洋を批判しているわけではないです。だからこそ---むしろ最近では黒沢清よりも---高橋洋に強い関心をもっている、ということです。オカルトは危険物であるが、人間の想像力(あるいは理性)はそれを避けることはできないと考えていて、故に、常にきわきわでそこに触れていて面白いのだ、と。)
(追記2。さらに言えば、ぼくはここで、小鷹さんの研究とオカルトを結び付けたい、結びつき得る、と考えているわけではないです。そういう風に感じられるかもしれない話題の並びになってしまったかもしれないけど、そういうことではありません。ここではたんに「横たわった状態での重力反転の起りやすさ」が幽体離脱的体験と深くかかわるという小鷹さんの仮説との関連性を指摘したいだけです。研究者にとって、安易にオカルトと結びつけられるのは迷惑以外のなにものでもないと思われるので、念のために書いておきます。)