●昨日のセザンヌの話をちょっと補足する。1899年からはじまる油絵の具の半透明性の使用の仕方は、いわゆるセザンヌ的な塗り残しとは相性がよくない。実際、「アンブロワーズ・ヴォラールの肖像」にも「りんごとオレンジ」にも厚塗りの方の「庭師ヴァリエ」にも塗り残しはない。これらの絵にもし塗り残しがあればそれは文字通り未完成なのだろうと思わせられる。だからそれらと、塗り残しのある(あるいは実際にはなくても、あってもおかしくない、あることもあり得る、それを許容する)サント=ヴィクトワール系や水浴図系の作品とはシステムが少し違うと考えるべきだろう。つまり、厚塗りの「庭師ヴァリエ」と薄塗りの「庭師ヴァリエ」との間にある違い。潜在的な明るさを秘めながら、重く沈みつつ形を(空間を)すり抜けて画面全体に漂うように広がる色彩と、それぞれが空間の(視点の)原基であるようなタッチ間の相互干渉によって、拡散と収縮を繰り返しながらその循環のなかで開放的に展開してゆく色彩の違い。後者は、タッチ間のネットワークが問題だから塗り残し(欠落)を許容するが(ネットワークは空間ではない)、前者は「全体に広がる(潜在的に世界に浸透されている)」何かが問題となっているから、塗り残しが許容されないように思う。どちらも、一見、三次元的な空間が成り立っているようでいて、同時にその解体を(というか、空間とは異質な幾通りもの別の秩序を)孕んでいる点ではかわらない(だから前者の「全体に広がるもの」の「全体」も空間を前提にしたものではなく、その意味で後者とかわらない)。ただ、向かっている方向が違うのか、あるいは着地のあり様が違うのか。
塗り残しを許容するシステムの方が一見過激に見えるから、前者から後者へと「発展した」かのようにも思われるが、おそらくそれは間違いだろう。厚塗りと薄塗りの庭師ヴァリエは両方とも同じ年(1904年)に描かれているのだし。それは両方同時にあって、セザンヌが見ていたものの裏表のような関係にあるのだろう。同一のモデルを描いた対照的な二枚が、同じ年(しかも最晩年の)に描かれなければならなかった必然性があるはずなのだ。
これ以上につっこんだことは、もっとたくさん作品を(実際に)見ないと言えないけど。とはいえ、1899年前後に何かが起こったことは間違いないと思う。ここから、セザンヌの色彩の感覚が大きく変わる。セザンヌの作品において、色彩が積極的に(主導権をとって)歌いだすのは、60歳になったこの年からなのだと、ぼくは思う。
(追記。「塗り残し」そのもののもつ意味(位置)も、例えば1885-86年の「ガルダンヌの村」と、1904年の薄塗りの方の「庭師ヴァリエ」とではかなり違ってきているように感じた。あと、1899年より前でも「水彩」においては色彩が歌っていたのかもしれないとちらっと思った。このへんも、実物をもっと見てみないとはっきり言い切れないけど。)