●油絵の具の良いところは乾燥が遅いのでゆっくりと描くことが出来るところで、油絵の具の悪いところは乾燥が遅いのではやく描くことが出来ないというところだ、なんていうことを改めて確認しながら絵を描く。それにしても、絵の具や溶剤のにおいが部屋じゅうをただよい、これは、絵を描いているのだという気分を盛り上げもするのだが、ぼくはアトリエで生活もしているので、このにおいのなかで寝起きしたり食事したりもするわけで、それはあまり快適なこととは言えないのだが。(アクリル系の絵の具はほとんどにおわないのだ。)いままで使っていたカラージェッソという色材は、描きにくいものではあるのだが、扱いづらいということはないのだが、油絵の具は、描きにくいという前に扱いづらい色材で、今はまだこの抵抗感を楽しんでいるような段階でもある。実際に制作をしていると、油絵の具の特徴はこの扱いづらさにこそあって、独自のなまなましい質感や色彩の半透明性などは、それに付随してくるものにすぎないのじゃないかとさえ思えてくる。
●油絵の具というのは本来、層構造をつくることでがっしりとした質感を構築するのために開発された。しっかりとした下地の上に、半透明の層をいくつも重ねてゆくことで、(反射光が半透明の層のなかで乱反射することで生まれる)独自の色彩と、堅牢なマチエールを実現する。とはいえ、厳密な意味での油絵の具の古典技法をしっかりと守っているのは、油絵の具の技法を完成したと言われるファン・アイクくらいなもので、歴史的に著名な画家は、皆どこかで「正しい技法」からは外れた、変なことをしているものなのだが。
堅牢な下地に、半透明の層を重ね、そこに詳細な描き込みを加えるという油絵の基本的な構造を破って、仕上げに近いところで不透明な絵の具をナイフでがっつり乗せるという荒技を開発したのがクールベで、いわゆる狭義の近代絵画はそこからはじまる。だがクールベではまだ、絵の具の層を重ねてゆくという、基本的な層構造はまもられいてた。
油絵の具の層構造そのものを破壊したのは、一方ではマネであり、もう一方では印象派だろう。マネは、油絵の具を意識的に薄く、平板に使うことで、独自の「はやく描ける絵」を実現した。印象派は、いってみればデタラメな、素人っぽい絵の具の使い方で、層構造をなし崩しに壊した。例えばモネは、絵の具を何重にも厚く重ねるが、それは層構造をつくるのではなく、たんにタッチが重ねられているのだ(層の単位ではなく、ひとつひとつのタッチの単位で思考されている。)。
絵の具を重ねるという層構造ではなく、絵の具を並べるという並列構造を意識的に探求したのが、後期印象派の画家たちで、スーラ、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌなどだ。いちばん分かりやすいのは、絵の具を混ぜることも重ねることもやめて、ただ点を並べることで絵を描いたスーラであろう。しかしスーラの絵は、光学的な理論に支えられたもので、それを超え出るようなものは希薄だ。ゴッホの独自のあのタッチは、乾燥の遅い油絵の具をつかって「はやく描く」ために要請されたという側面も大きいとぼくは思う。あの刻み付けるようなタッチで描くことで、下の層が乾燥していないうちに、絵の具が混ざることなく、上の層を重ねられる。
層構造から並列構造への移行によって前面に出て来たのがタッチという単位だろう。セザンヌがモネを高く評価するのは、モネこそがタッチという単位で思考することを画家たちに可能にさせたからだと思う。そして勿論、タッチという単位で絵画を思考することを、最も過激に、徹底して行ったのがセザンヌだ。セザンヌは、モネのようにタッチを重ねるのではなく、タッチを並列せることで絵をつくる。このやりかたは、セザンヌが晩年になるに従ってより徹底され、より過激になってゆく。
タッチを重ねるのではなく並列させて絵を描く時、必然的に、タッチとタッチの隙間が生まれる。この隙間からは、キャンバスの下地が覗く。セザンヌはある時期から、これをことさら埋めることをしなくなる。この跳躍は、驚くべきことだ。ここであらわれる「塗り残し」は、意図的に残されたものではなく、あくまで「結果として」残ったものだ。そしてそれは、仕上げとして「埋められる」必要はないのだ。それでも絵は成り立つ。絵画のフレームの内部にあらわれた、絵画の外側にあるもの。イメージのなかにあらわれた、イメージの外にあるもの。それは、はっきりと(隠されることなく)「見える」ものであるのに、イメージの秩序の内部には属さないものなのだ。同時には存在し得ない「別の秩序」に属するものが、あるフレームのなかに同居する。そしてそれがあからさまに可視化されている。
念のために言うけど、これは東洋的な意味での「余白」とはまったく異なる。水墨画の描かれない「紙」の白い部分は、描かれた部分と連続した空間に属している。白い部分と描かれた部分には、同じ空気が流れている。しかしセザンヌの塗り残された部分は、たんにキャンバスの地そのものであって、描かれた部分(イメージ)と空間的な連続性がない。それは盲点のようなものだ。しかしこの盲点は「見える」のだ。この可視化されたブランクは、見えるのに見えていないことで(イメージと、イメージを支えるものとが、同時に見えてしまうことで)、画面のなかに可視的な断層をつくる。
タッチとタッチとの隙間を埋めなくても、平気で絵が成り立ってしまうこと。人間の視覚がこの状態を「受け入れて」しまえること。むしろそれによって、絵画の空間はより広く広がり、複雑に重なるようになること。このことの衝撃を、最も真摯に、深く受け止めたのは、やはりマティスだと思う。初期のマティスのフォービズムは、点描を点ではなくタッチの単位で行うというということで、これは当然スーラよりもセザンヌに近い。マティスはほとんど最初期から、タッチとタッチとの隙間を、フレーム内にあるフレーム外としてしっかりと意識している。そしてその意識は、タッチというよりも色面や線についての思考である、晩年の、ヴァンスの壁画や切り紙絵にまではっきりとつづいている。
マティスの絵が、同一のフレーム内に、複数のことなる次元を同時に重ねるという信じ難い達成を示すのが可能になったのは、セザンヌの絵で、タッチとタッチの隙間が意味するものを徹底して考えていたからだと思われる。しかしそれは、なにもマティスが史上はじめて実現したことではない。なにしろ、人類は数万年も前から絵を描いているので、そこに「新しい」ものなど何もないし、絵画には「新しさ」などに頼らずに充分に成立する強さがある。例えばルネサンス初期の壁画なとで、セザンヌの絵画にあるフレームの内部にあるフレームの外としての「塗り残し」は、イメージの内部にある、別の秩序のイメージとして、建物の壁や柱、地面や空によって実現されている。それらによってイメージは複数の次元に分割され、また、その分離されたものを繋いでもいる。だからマティスの絵は、セザンヌに負っているのと同じくらいの重さで、ピエロ・デラ・フランチェスカにも負っている。
(この断層は、さらに発展すると、戦後アメリカ絵画が実現した、ラウシェンバーグなどの「フラットベッド」型の絵画をも生むだろう。しかしそこまでくると、イメージは情報の一つの単位へと縮減されてしまい、そのなかで身体を運動させることの出来る「空間」を失う。つまり絵画が脳のなかに吸収されてしまう。実は意外にも、マティスのやろうとしたことをさらに先にまで進めようとしたのは、おそらく、オールオーバー以降の最晩年のポロックだと、ぼくは思う。しかしそれは、一定の成果がみられる前に画家の死によって途切れてしまった。ぼくにとっては、それ以来「絵画の歴史」は途切れている。)
●多分、ぼくが映画のなかの「幽霊」に興味があるのは、以上のことと深いつながりがある。