●テレビを観ていたら、掃除機を擬人化したキャラクターが出てきて、「わたし、大尊寺なつこです」とか言っていた。「NHKなのに、商品名(企業名 ? )言っちゃってるのとほぼ一緒じゃん」と思った。
●絵画と重力についてもうちょっと。デッサン力という形を正確に捉える能力だと思っている人が多いと思うけど、実はそれよりも、物の重心と軸とを正確に捉える方が重要なことだと思う。つまり、描かれたものが、重力の作用するこの地球の上で、そのような形で存在し、地面と接して、そういう姿勢を保て得るという形で描かれているのか、ということ。例えば、高野文子の描く人物は、描線は掴み所なく流れ、形態はクラゲみたいにくにゃくにゃしているが、体の軸と重心がちゃんと捉えられているので、その人が重力に抗してちゃんと立ったり、座ったり、動いたり出来る。なんというか、それによって、人物がたんに視覚的なだけの存在ではないという感じが生まれる。
身体と重力との関係は、まず軸と重心という形で意識される。視覚や聴覚や触覚といった形での、外界からの感覚的入力装置を断たれてしまっても、外的環境-地球と身体との関係は、重力-三半規管によって保たれ、それは身体の軸と重心(の変化、移動、揺さぶり)によって意識され、表現出来るだろう。
セザンヌは歩く。ルーブルを歩きまわり、故郷エクスを歩く。サント・ヴィクトワールを描くために、それが見える高台に登る。空間を、土地を、傾斜を、身体の軸と重心の変化、移動、揺さぶりとして、その集積として、日々感じる。セザンヌの描く静物画は、風景画以上に地形的、地質学的であり、つまり、軸と重心の変化、移動、揺さぶりに満ちているように思われる。セザンヌにとって、静物のモチーフを組み立てることは、毎日歩く、その歩行の過程を再現するというようなことだったのではないだろうか。