●以前からいろんな人から噂には聞いていた『神々の沈黙』(ジュリアン・ジェインズ)をようやく読み始めた。とても面白い。
メモとして、第二章から引用する。ここでは、「意識」は比喩によって生み出されていると、つまり、言語によって可能になっているのだと説かれている。《〈心の空間〉は現実の空間の比喩だと言うとき、〈比喩語〉は現実の「外」界だ。しかし、比喩がたんに意識を記述するのではなく生むのだとすれば、このとき〈被比喩語〉は何なのだろうか》、と。
●まず、言語の最も興味深い属性は、比喩を生み出す能力だ、とされる。
《(…)比喩には常に二つの語が関与している。一方は、説明しようとする事物を指し、それをここでは〈被比喩語(メタフランド)〉と呼ぶことにする。他方は、それを説明するのに使われる事物または関係を指し、これを〈比喩語(メタファイアー)〉と呼ぶ。比喩とはつねに、よく知られた〈比喩語〉によってあまり知られていない〈被比喩語〉を処理する関係だ。》
《(…)じつは言語とは、休みなく変化し続ける比喩の海なのだ。》
《私たちは意識を理解しようと試みている。しかし、何であろうとそれを理解するとき、私たちはほんとうはなにをしているのだろうか。私たちは何かを理解しようとするとき、わけのわからぬものを説明しようとする子供のように、その「何か」の比喩を探しているのだ。比喩なら何でもよいというわけではない。自分にとって馴染み深く、注意を向けやすいものでなければならない。何かを理解するというのは、よりなじみのあるものに言い換え、ある比喩にたどり着くことだ。つまり、馴染み深さが、理解したという気持ちに通ずる。》
●しかし、意識を「比喩」で表すのは困難だ。
《あるものの理解がわかりやすい比喩にたどり着くことであるとすれば、意識の理解はつねに困難がつきまとうと想像がつく。ただちにわかるように、私たちの現下の経験の中に現下の経験自体に似通ったものなどないし、あるわけもないからだ。したがって、意識の対象を理解するのと同じ形では、けっして意識を理解できない面がある。》
《たった今言ったことの背後にある概念、つまり、意識が何かをするという概念すら比喩だ。それは意識が物理的な空間で行動する人間であり、この人間が何かをすると言っている。これは「する」も比喩であるときにのみ成り立つ。何かをするというのは、生き物が物理的な空間で何らかの行動をとることだからだ。また、比喩として「する」と言ったとき、その行為はどういう「空間」で行われているのだろうか。(…)この「空間」もまた現実空間の比喩に違いない。この考え方は、やはり比喩である「意識の在りか」に関する議論を思い起こさせる。意識は事物であり。他の事物同様「在りか」を持つはずだと考えられている。だが、すでに見たとおり、意識は実際には物理的な意味での場所は持たない。》
●世界のアナログ(類似物)としての「意識」
《「アナログ(類似物)」とはモデルだが、特別な種類のものだ。科学一般で使われるモデルではない。科学で使われるモデルの由来は何でもよく、説明または理解のための仮説として機能することを目的としている。だが、「アナログ」のあらゆる部分は、それが類似している事物によって生み出されている。地図が良い例だ。地図は科学的な意味でのモデルではない。ボーアの原子モデルのように、未知のものを説明するための仮想モデルではない。完璧ではないにしても、何かよく知られているものをもとに作られている。ある土地のそれぞれの地域が、それに対応する地図上の各領域に割り当てられている。ただし、土地と地図とでは材質がまったく違うし、土地の持つ特徴の大半は地図には載っていない。「アナログ」としての地図と、それが表わす土地との関係は比喩になっている。地図上のある点を指して、「ここがモンブランで、シャモニーから東壁にはこう行けばたどり着ける」と言ったりする。これは、実際には「『モンブラン』と名づけられた点と他の点との関係は、実在のモンブランと周りの土地のそれに似通っている」ということをつづめて言っているのだ。》
《主観的な意識ある心は、現実の世界と呼ばれるもののアナログだ。それは語彙または語句の領域からなっており、そこに収められた用語はいずれも物理的な世界における行動の比喩、言い換えれば、アナログだ。それがどれだけ現実に近いかと言えば、数学並みだろう。これによって、私たちは行動課程を短縮し、より適切な意志決定ができる。数学の場合と同じく、アナログは事物やその在りかではなく演算子だ。また意志や決定と密接につながっている。》
●意識が「比喩」であることを示すために、比喩について深く考察される。ここが面白い。
《比喩の性質をより注意深く見てみると(その間もずっと、自分の発する言葉のほとんどが比喩になっていることに気づかれるだろう)、比喩が〈比喩語〉と〈被比喩語〉のみからできているわけではないことを発見する(「発見する」という動詞すら比喩ではないか)。複雑な比喩の奥底にはたいてい、〈比喩語〉の様々な連想や属性も潜んでいる。これらを〈比喩連想(パラファイアー)〉と呼ぶことにする。そしてこの〈比喩連想〉は、私が〈被比喩語〉の〈投影比喩(パラフランド)〉と呼ぶものとして、もとの〈被比喩語〉に投影される。何ともややこしい用語だが、何についてはなしているかをあくまで明瞭にするにはどうしても必要だ。》
《「雪が毛布のように大地を覆う」という比喩について考えてみよう。この場合、〈被比喩語〉は、雪が大地を均等な厚さで覆い尽くす様子であり、〈比喩語〉はベッドにかかる毛布だ。だが、この比喩の快いニュアンスは、〈比喩語〉である毛布の〈比喩連想〉にある。すなわち、目覚めの時が来るまでの温かさや、守られている感覚、まどろみなどだ。こうした毛布の連想は自動的に、もとの〈被比喩語〉、つまり、雪が大地を覆う風情の連想、すなわち〈投影連想〉となる。こうして、この比喩によって、春の目覚めまで雪に守られて眠る大地の概念が生まれる。このすべての情報が、雪が大地を覆うさまを表すのに「毛布」という言葉を使う、ただそれだけのことに凝縮されているのだ。》
《たとえば「私の愛は錫職人の大匙、その輝きを秘めて、粗挽き粉入れに刺さっている」と言ったとしよう。この場合、〈比喩語〉と〈被比喩語〉との直接の対応が一見して見えないという事実は、さして重要でない。重要なのはこの比喩の〈投影連想〉が、そこにあるはずもないものを生み出すという事実だ。それは、積み重なる時間のずっしりと手応えのある、操作可能な柔らかさの奥深くに埋め込まれた、とこしえの愛の絶妙不変の形、隠された輝き、保持する力であり、それがそっくり男性の視点から愛の営みをなぞる(したがって〈投影連想〉を喚起する)行為になっていると言える。このような愛の属性は本来存在せず、比喩によって生み出されて初めて得られるものだ。》
《意識はかくも詩的にできている。これは先に挙げた心の比喩をいくつか考えればわかる。たとえば、前章で示した円と三角の図形列のような単純な問題を解こうとしていると仮定しよう。さらに、答えを得た事実を表明するのに、ついにその答え(つまり三角形)を「see(見て取る=悟る)」と告げたとしよう。
この比喩は、雪の毛布やさらさら流れる小川と同じように分析することができる。この場合の〈被比喩語〉は目で見ること、〈比喩連想〉は視覚から連想されるもののいっさいであり、それが〈投影連想〉を生み出す。たとえば、心の「目」や「はっきり答えを見ていること」などだ。なかでも最も重要なのは、そのなかで「見ること」が起きている「空間」の〈投影連想〉、つまり、私が〈心の空間〉と呼ぶもの、そして「見る」ことができる「対象物」だ。》
《意識は表現の具体的な〈比喩語〉とその〈比喩連想〉から生まれ、機能的な意味のみで存在する〈投影連想〉を投影する。さらに、意識は自分自身を生成し続ける。新しい〈投影連想〉の一つひとつが独立した〈被比喩語〉となり、独自の〈比喩連想〉を持つ新たな〈比喩語〉を生む能力となっているのだ。
もちろん、この過程は私の言葉から連想されるほど場当たり的ではない。世界は秩序立っている。しかも高度に。したがって、具体的な〈比喩語〉も意識を秩序立てて生成している。こうして、意識と私たちが意識する物理的な行動の世界との類似性が生まれる。そして、多少の相違点はあるにせよ、世界の構造が意識に投影されるのだ。》
●ここで、「比喩語」と「被比喩語」とが、互いに役割を入れ替え合うことで、言語は《休みなく変化し続ける比喩の海》となるのだ、と。
《アナログの基本的な性質の一つは、その生成法と使用法が異なるという点にある。当然だろう。地図の製作者と使用者とは二つの異なる行為をしている。地図の製作者にとって、〈被比喩語〉は何も書いていない紙切れだ。彼は、自分が知っている土地、調査した土地の〈比喩語〉を使ってこの〈被比喩語〉に働きかける。しかし、使用者側の事情はまったく逆になる。土地が未知なものであり、〈被比喩語〉となる。〈比喩語〉は自分が使っている地図であり、彼はそれを使うことによって土地を理解する。》
《これは意識についても当てはまる。意識は、私たちの言語表現の〈投影連想〉によって生成されるときは〈被比喩語〉だ。しかし、意識の機能はいわば復路だ。復路では、意識は私たちの過去の経験に満ちた〈比喩語〉となる。未来の行動や意志決定など未知のことや、部分的に覚えている過去、私たち自身がそもそも何者であるか、そして何者になるかについて、たえず選択的に働きかけている。こうして生まれた意識の構造に基づいて、私たちは世界を理解する。》
●そして、ジュリアン・ジェインズは、意識の特徴として、(1)空間化、(2)抜粋、(3)アナログの〈私〉、(4)比喩の〈自分〉、(5)物語化、(6)整合化(適合化)を挙げている。
(つづく)