●二つの川が交わるところで視界がすーっと遠くまで開ける。南浅川を下流の方に向かって歩いていて、浅川との合流点にたどり着く。川幅と河川敷の幅がぐっと広がる。そこでいつも、視線がぐーっと遠くへ延びるという感覚を得る。遠くへ延びる視線は、下流側よりも、合流した浅川の上流側へ、上流側の対岸へ、その先のもっと遠くにある山々の方へ延びてゆく。その時に感じる「遠さ」の感覚は、遠くへ離れてゆくというものではなく、遠くのものがぐっと迫ってくるという形で感じられる。「遠くのものが迫ってくる」ことによって「遠さ」を感じる。ものが「遠さ」として「迫ってくる」。空間が遠くへ向かってひろがるという感覚は、ものが遠くへ離れてゆくというのではなく、遠くのものが「遠さ」として迫ってくるという感覚と共にあらわれる。そして、この感じを味わう度にいつも、セザンヌのサントヴィクトワール山のことを思い出す。
空間のひろがりを、遠くのものが「遠さ」として迫ってくるという感覚によって描いた風景画を、ぼくはセザンヌの作品しか知らない。セザンヌが、遠近法を否定するような(空間の捻れた)絵を描いたのは、遠近法という象徴形式の否定(批判)のためではないし、後のモダニズムの言説が整理したような、絵画が自分自身の形式(平面性)に忠実であろうとしたというような理由からでもなく、たんにセザンヌが「そのように感じていた」から、セザンヌにとっては「そうでしかあり得なかった」からなのだと思う。そしておそらく、それはいわゆる風景画の伝統とは異なるものだ。
ハーグ派にしても印象派にしても、あるいはターナーなどにおいても、一般に近代的な風景画が描こうとしているのは要するに光と空気であろう(それは、ハーグ派の末裔と言えるモンドリアンにまで共通している感覚だ)。極端なことを言えばそれは「空」を描くということに集約される。光と空気というそれ自体では目が捉えることの出来ないものを「見る」ための特権的な対象としての「空」。半透明な層を重ねることで光を停留させ屈折させることの出来る油絵の具は、空(空気と光)の表現を飛躍的に強いものとした。しかしセザンヌが描こうとしてのは(勿論、光や空気や空も含んだものだが)むしろ土地や土壌の方であるように思う。例えば、セザンヌの絵に描かれる樹は、土地の隆起や沈降、土とその成分、光の射し方や気候、水の流れ等々(要するにその土地に作用している様々な力)を集約的に表現するものの一つとしてあるのであって、空気と光のなかで明滅する緑の表情というものではない。
そして、セザンヌの描く静物画もまた、オランダ絵画由来の、風俗画としての静物とはまったく異なるものなのではないだろうか。それは、その土地に作用する諸力をまるごと捉えるような風景画を描くために、絵画という形式として空間をどのように捉え、どのように構築すればよいかを探求するためのレッスンのような意味合いが強いように思われる。だからそれは、市民社会-市場経済の発展によって、「もの」たちを物語-文脈から切り離して孤立させることが可能となり、そのそれぞれ無関係な「もの」たちを並列的に配置(再配置)することによって、(文脈から切れることではじめて見えてくる)「個物」としてのきらめきや微妙なニュアンスを捉えようとする、というような、近代的なリアリズムとしての静物画(この方向を最も過激に推し進めたのはマネだろう)とは違って、その表情はきわめて粗野で粗っぽい。
だから、セザンヌは、いわゆる近代絵画の流れから外れて、まったく別のことをやろうとしていたのだと思われる。それは一種の、素朴な原始主義に近い何ものかですらあるように感じる。しかしそれはまた、近代という状況によってはじめて可能となるような原始主義でもあるのだが。つまり、セザンヌは近代絵画とはまったく別のことをやっているのだが、しかしその「別のこと」は、「近代絵画」によってはじめて可能になったことであることも確かなのだ。宗教画とも歴史画とも異なる、近代的なジャンルとしての風景画や静物画が既にあったからこそ、セザンヌはそれをまったく別のものへと発展-飛躍させることが出来たのだとも言える。
●いや、でも、別にそんなことはどうでもいいことなのだ。セザンヌだけが、遠くのものが「遠さ」として迫ってくるという形で風景というスケールの空間を描けた、ということこそが重要なことなのだ。