2023/06/24

⚫︎いまさらながらという感じだが、マティスがこの作品によって「マティスになった」と言える「豪奢I」と、ピカソがこの作品によって「ピカソになった」と言える「アヴィニョンの娘たち」が、どちらも同じ1907年に描かれ、そして、それから1912、3年くらいにかけて5、6年間の、マティスなら、「赤の調和」や「ナスのある室内」における室内-空間の過激な構築性、「ダンス」や「音楽」のような平面・非中心化の極限までの追求、「セリビア静物」「スペインの静物」における、虚と実、狂乱と静謐の共存といった、熱にうかされたかのような超濃厚な展開があり、ピカソ(+ブラック)なら、分析的キュビズムから、パピエ・コレ、そしてコンストラクションへという、平面-超空間に関する、ある意味で学究的とも言えるストイックで求心的な探究があって、それが同時代に並行的に行われていたというのは驚くべきことだし、この5、6年の間こそが、近代芸術の最も過激で急進的で、かつ、最も実りの多かった時期だと思われ、今でもなお、この時期のマティスピカソといツートップは、越えられない高い壁として存在しており、同時に、この時期のマティスピカソの作品があってくれることで、かろうじて、現在もなお、絵画が、あるいは「面」というものが、芸術にとって意味のあるものであることができていると思う。

(西洋中心主義、白人中心主義、男性中心主義は、当然批判されるべきだが、その批判があった後でもなお、この事実は簡単には揺るがないように思われる。)

(追記。「近代絵画」は終わったのだとしても、それでもなお…、ということです。)

もちろん、マティスピカソの前にはセザンヌがいて、また、これは個人としての嗜好が強く出ていると思われるが、その三人と同等に重要な存在としてボナールがいる(全員、白人男性であるが…)。ぼくにとって、「近代絵画」というのは一義的にはこの四人のことであって、これは自分の限られた時間・身体・能力の問題として、その仕事を真剣に受け取ろうとするならそのくらいで精一杯というか、それでも手に余り過ぎて途方に暮れるということだが。

(常識的に考えれば、まずクールベであり、次にマネであって、特に、マネには既に「近代絵画」の全てがあると言えると思うし、マネの重要性に関しては益々強く感じるようになってきているが。)

⚫︎ぼくは、ピカソの最も重要かつ最も過激な仕事は、パピエ・コレとコンストラクションだと思っているのだが、このことはどれくらいの人に伝わっているのだろうか、と思う。

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