●2008年の「ユリイカ」11月号「ピカソ特集」に書いたテキストをnoteにアップしました。「ギターと仮面とコンストラクション/一九〇七年から一九一二年のピカソ」。
https://note.mu/furuyatoshihiro/n/nd1a96e6465ae?creator_urlname=furuyatoshihiro
ピカソは、絵画より彫刻(というか、コンストラクション)の方が資質に合っていて、しかも後世への影響も大きいとぼくはずっと思っていて、それは結局、ピカソセザンヌよりも、アフリカの彫刻から多くの示唆を得たということだと考えていて、この点について、1907年から1912年という、ピカソの作家として最も充実した時期の三つの作品について分析したテキストです。
(少しでも分かりやすくするために図版がたくさんあります。)
綜合的キュビズムモダニズムの絵画としてとても高い達成だと思いますが、同時にどうしようもない行き詰りでもあって、それを突破できたのは、ピカソが、「アフリカ彫刻(仮面)」と「ギター状の楽器(ギター、マンドリン、バイオリンなど)」の間にある形態的構造の共通点を発見したことによるのだ、と、ぼくは考えています。ピカソは、ギター状の楽器を、アフリカ彫刻のような手法で再構築することで、コンストラクションという新たな作品(モチーフと作品との新たな関係)を創造したのだ、と。そしてそれが、総合的キュビズムからの出口となった、と。
それはつまり、ピカソはあくまで、人類学的視点というより、西洋近代美術的な視点から、つまりアフリカの人たちの生活の外から、アフリカ彫刻を観ているということです。これを、植民地主義的なまなざしととることもできますが、ストラザーン的な「部分的つながり」の具体例の一つととることもできると思います。
まあ、これはちゃんとした実証的な研究ではなく(参照しているアフリカ彫刻の数が圧倒的に少ないとか、アフリカ彫刻についてのぼくの知識が充分ではないとか、そういう問題はあると思います)、これはあくまで、ピカソの多くの作品を観るなかで、そして大阪の「みんぱく」を観た衝撃のなかで生まれた、ぼくの直観的な把握というか、直観的仮説ということなのですが。
綜合的キュビズムの最も緊張感の高い作品を描いていた、それと同じ年に、ピカソがなぜか、まったく異なる原理によるコンストラクションを手慰みのようにふっとつくりはじめてしまい、結果としてそれが行き詰まりからの脱出口として発展してゆく、というところに、ぼくはピカソの天才を感じます。
●うーん。ぼくはやっぱり、シンギュラリティは来るんじゃないかと思う。「「弱い」計算能力の量子コンピューターでも、古典コンピューターの性能を上回ることを理論的に証明」(科学技術振興会機構)
http://www.jst.go.jp/pr/announce/20171006/index.html