●『マティスとピカソ/二人の芸術家の対話』というDVDをツタヤで借りて来て、呑みながらぼんやり観ていた。まあ、はじめから期待はしていなかったけど、内容的にはみるべきものはほとんどなかった。
ただ、面白かったのはピカソの息子の発言で、一般的なイメージでいうと、ピカソとマティスとではピカソの方がエラそうにしている感じだけど、実際にはマティスの方が「静かな暴君」という感じで堂々としていて、ピカソはマティスに会いに行く時、いつもすごく緊張していた、と言っていたことだ。まあ、考えてみれば、そうだろうなあと納得するのだけど。(しかしこの映画では、ピカソの近くにいた人、息子や最後のパートナーなどの発言はあっても、マティスの近くにいた人の発言がない。これは、晩年のマティスがいかに人を寄せ付けずに、一人で仕事だけをしていたかということをあらわしているように思える。四十歳代の後半に、ニースにアトリエを移すのも、知り合いがほとんどいない土地で制作に没頭するという目的もあったらしい。まあ、奥さんと離れて浮気してたっていう話もあるけど。)
あと、ピカソはほとんどモデルを使わなかったらしい。身近にいる人物を描くときでも、ポーズをとってもらったりすることはあまりなく、ほとんどの場合記憶で描いた、と。椅子やツボなどの静物を描く時でも、アトリエに実際にある椅子やツボを描くのではなく、どこかの絵に描かれていた椅子やツボを描く、と。対してマティスは、いつもモデルを使った。(そして、マティスとモデルとの距離は、異様に近い。)
ぼくにとってピカソとマティスの違いははっきりしていて、ピカソはあくまで明暗法とモデリングの画家で、それは伝統的な西洋絵画の範疇に属する。ピカソが革新的なのは、その、明暗法とモデリングによってつくりだされたものの、画面内での組織の仕方が新しかったということだ。(だから実際のところ、キュビズムは明暗によるモデリングを否定したセザンヌとほとんど関係がない。)しかし基本的には伝統的な作風なので、古典的な作風にも容易に回帰可能だ。(ぼくの個人的な意見では、ピカソは絵画よりもむしろレリーフの作品が優れている。つまり、キャンバスという基底面が前提とされない時に優れている。あるいは、絵画においても、もっとも優れた作品はレリーフ的な空間構造をもっている。色彩と言う面では、ピカソはほとんど伝統的だ。)
対してマティスは、スペースの配分と色彩の画家で、これは西洋絵画の伝統とはズレている。勿論、まったく参照元がなくていきなりのオリジナルだというわけではなく、一方にセザンヌがいて、もう一方にピエロ・デラ・フランチェスカがいるし、後期印象派の画家たちがいなければ、マティスは自らの資質を発見することもなかったかもしれない。(色彩というより、絵の具の質という面では、必ずしも西洋絵画からズレているというわけではないと思うけど。)この映画ではマティスの、「デッサンはより少ない要素で描かれる絵画で、白い紙に黒い線を引くだけで、白の質を変えることが出来る」という発言を引用しているのだが、この発言にマティスの絵画の特徴が端的にあらわれていると思う。均質な紙の白を、黒い線で「切り分ける」という身振りだけで、その内実にはまったく手をつけずに「質」を変えることが出来るのだ。既にある基底面を、切り分けることで別物に変質させ、分裂させると共に統合する。つまり、明暗やモデリングはほとんど関係がない。(明暗もモデリングもなしに、どうやってボリュームを表現するか、という追求が、マティスの人物画であろう。)
1954年にマティスが亡くなった後も、ピカソは生き続ける。ぼくは、好き嫌いということで言えば、マティスが亡くなった直後くらいの時期のピカソがピカソでは一番好きだ。ピカソが最もマティスに近づいた時期、という言い方はあまりにマティスの側に立ち過ぎている言い草だけど、まるで、死んだマティスとコラボレーションしているかのような絵を、この時期のピカソは描いている。このことだけをみても、この二人の関係が特別なものであったことが分かる。
(抽象表現主義にもピカソ派とマティス派がいる。ピカソ派の代表は、デ・クーニングとポロックだろう。マティス派は、ルイス、ロスコ、ニューマン、ホフマンなど。ゴーキーはマティス的な絵もあるけど、意外と基本はピカソ寄りだ。だが、なんといっても抽象表現主義で最もマティス的なのは、60年代はじめくらいまでという限定付きでだけど、フランケンサーラーだと思う。もっとも、この人も初期はもろにピカソなのだけど。)
●おそらく、ピカソに決定的に欠けているのは、空気を描くことへの関心だろう。
空気を描くことが、意識的に主題化されたのは、17世紀のオランダ絵画からではないだろうか。それはつまり、フェルメールでありレンブラントということなのだが、それよりももっとはっきりとしているのがライスダールだろう。
要するに、風景画のキモとは「空」の表現であり、空という、そこから光が降ってくる何もない分厚い空気の層を、平べったい面の上にどのように表現するのか、ということだ。風景画が、ロマン主義的な、鬱蒼とした深い森とか、切り立った崖の上に建つ古城とかいった文学的な主題を抜きに、たんに「風景」としての表現を得て、たんなる風景が絵の主題として認められるようになったのは、空という分厚い空気の層を表現することが可能になったからだと思われる。空という、そこから光が降りてくる何もない広がりを、油絵の具の半透明の層を塗り重ねることでできる独自の光の屈折によって表現出来たからこそ、それは絵としての自律性を持ち得る表現力を獲得した。
それ以降、空は常に、風景画の表現の強さを支えるキモとなる。ライスダールの空、コンスタブルの空、バルビゾン派の空、ハーグ派の空、クールベの空、モネの空、ゴッホの空、セザンヌの空、初期アンソールの空。そこから光が降りてくる分厚い空気の塊。その厚みを、空気の流れを、それによる光の屈折を、あるいは雲を通過してきた光の鈍い輝きを、雲のダイナミックな動きを、どのように捉え、どのように表現出来るかで、風景画の強さはほとんど決まってしまうとさえ言える。(そして、それを可能にするのがおそらく油絵の具だ。)そして、ヨーロッパ絵画において、空(空気)の表現とは、ほぼそのまま光の表現のことだ。
ピカソには、このような空=空気の層=光への関心が、ほぼ完璧に見当たらない。しかし、最もすぐれたピカソの作品においては、油絵の具の薄く半透明な複数の層の重なりのかわりに、レリーフ的な、複数のことなる基底面の交錯があるので、空気の塊=光の屈折の表現による視覚的な厚みのかわりに、構造的(認知的)な厚みが出現している。ピカソの色彩はほとんどの場合、単調であるか濁っているのだが、それは作品構造の複雑さと正確さによって埋め合わせられ、補って余りあるものとなる。
だがマティスもまた、空にはあまり興味がないかのようなのだ。マティスは基本的に室内の画家であり、風景の画家ではない。ここがセザンヌと決定的に違うところだ。だがマティスの色彩にはピカソとは違って外光が含まれている。だから空気の厚みも存在する。しかしその光は、空から降ってくるものではなく、どこかから染み出して広がり、既にそこにあるかのような光なのだ。(まあ、セザンヌもかなりの程度でそうなのだけど。でもセザンヌには明確に「空」がある。)モロッコの光やニースの光は、空から降って地上に届くのではなく、「そこ(空気の中?)」にはじめからあって漂っている。マティスの色彩の不思議な感触、平面的でありながら厚みをもち、空気を含んでいるような色彩は、このことと関係があるように思われる。あるいは、マティスが明暗法からほぼ完璧に離脱できたのも、このことと関係があるのかもしれない。
おそらくマティス以降、絵画における光は空から降って来るものだけではなく、それ自身として既にそこにひろがっているようなものも可能になる。(それは、色彩間の微妙な調整だけでなく、下地の白いひろがりへの配慮によって可能になる。)これは、色彩の意味そのものの変化でもあろう。そしておそらくこのこと(光源の消失)が、ある種の抽象絵画を可能にする。