ブリジストン美術館の藤田嗣治(2)

(昨日のつづき)
ブリジストン美術館の充実したコレクションを前にして、日本の近代美術しか観ないのはまったくもったいない話なので、それは、昨日までにしてマティスの話をする。
「コリウール」というタイトルのついた、厚紙に描かれた小さなサイズ(24.5×32.4cm)の絵に強く引かれた。フォーブ時代のマティスは、色彩の(絵の具の)直接的な輝きに満ちている。1905年の春から秋にかけてマティスはコリウールに滞在していたのだが、この時期に描かれた作品はどれも素晴らしい。フォービズムによる固有色からの解放は、確かに後期印象派、特に点描派なしにはあり得なかったことは事実だろう。しかし、マティスがやっていることは光学的な色彩分割とはほとんど関係がない。点描派の色彩分割から、マティスは絵画における色彩の全く別の使い方を引き出した。「コリウール」では教会が緑で描かれ、海がピンクで描かれたりしているけど、それは表現主義のように内的なものの表出としての色彩ではないし、たんに色彩同士のハーモニーの効果のためのものでもない。教会の緑、海のピンク、地面の、白をたっぷりと混ぜられたエメラルドグリーン(と、その下から覗く黄色)、そして遠くにちらっとのぞく濃紺、それらの色の対照や響き合いによって、他ならぬ、その絵によって描かれている実際の風景(コリウール)の光や空気が(絵の具とキャンバスという物質に変換されて)表現されているのだと思う。(実際にコリウールに行ったことがないので、そうだ、と断定出来ないのだけど。)その土地の、空気や光や風景が我々の感覚に与えるものが、色彩と絵の具の触感の組み合わせ(諸関係)へと変換されて、表現されている、ということ。固有色から解放されているとは言っても、それは赤いものを必ずしも赤系統の絵の具で描かなくてもよい、ということであって、赤いものが赤い色に見えることの必然性(感覚の固有性)から自由になっているわけでは全くない。画家の恣意的な好みや画面構成の都合によって好き勝手に色彩が選択されるわけではない。(コリウールのマティスの色彩は、敷いて言えばアルル時代のゴッホのある種の作品の色彩に近いかも知れないと思う。)
鮮明であると同時にやわらかくもあり、視覚的であると同時に触覚的でもあり、顔料の持っている色彩の輝きが直接的に露呈されていながらも、描かれた対象である風景のなかにある光や空気の感触をも表現している、おそらく色彩の表現としてはこれ以上ものもはないというくらいの1905年のマティスは、しかし、そのわずか2年後の「豪奢」(これは一昨年のマティス展で観た)では、大きく作品のあり様を変化させている。この間の変化というか、飛躍が、その後のマティスを決定するものであるようにも思える。
コリウールの時期のマティスと、「豪奢」(1907年)とを隔てる最も大きな違いは、そこに「線(線描)」という、極めて抽象的なものが導入されていることにある。線による描画が画面に侵入してくることによって、たっぷりとした物質としての触覚的な含みを持っていた絵の具は、平滑に塗られた色面へとって替わられ、それと同時に、顔料の輝きがそのまま定着されたような、色彩の直接的な輝きもやや後退する。そのかわり、画面には、絵画によってしか形成できないような、ある抽象的な次元が発生する。(色彩の役割も多少変化しているように思う。)このことで、マティスの画面は飛躍的に複雑になる。おそらくこの時期にみられる飛躍によって、マティスは、フォーブ的な、直接的な輝きとは異なる、一生追求しても汲み尽くせないほどの(まさにマティスマティスたり得た)複雑さを手にしたように思う。しかしこの複雑さは同時にヤバいものでもあろう。ぼくは、フォーブ時代のマティスの作品については、感覚に直接はたらきかけてくるものであり、何の保留もなしに素晴らしいと言えるけど、それ移行の作品については、簡単にそうは言い切れないもの、ある主の保留や逡巡が生じる「含み」(これこそがまさに複雑さであり「厚み」でもあるのだが)を感じざるを得ないのだ。これは「線」というもののもつ抽象性と関係があるように思える。例えばもしセザンヌが生きていたら、フォーブのマティスは認めるかもしれないけど、「豪奢」のマティスは認めないのではないだろうか。そういうヤバさがマティスの懐の深さで、複雑さであり、面白さであるのだが。
(余談だが、「線」とは一体何なのかという問題は、ぼくの、今の、自分の作品を制作する時に抱えている大きな、そして魅力的な、問題の一つなのだった。いまのところ、それはドローイングという形でのみ現れていて、タブローには線が入り込む余地はないのだけど。)