●ゴンブリッチの『美術の物語』をパラパラと眺めていて、カンディンスキー(1866-1944)とマティス(1869-1954)が、ほとんど同世代の画家だということを、はじめて意識した。この本では、同じ紙の裏表(571ページと572ページ)に、カンディンスキーの「コサック兵」(1910-11)とマティスの「食卓-赤の調和」(1908)が印刷されているのだが、ページをペラペラめくりながら両方を交互に観ていて、この二枚の絵が「やろうとしている事」が、とても似ていることに気付いた。カンディンスキーはマティス程には「それ」に成功してはいないのだが、しかし「目指すところ(見えているもの)」というか、ヴィジョンのようなものは驚くほど似ているとぼくは思う。それを簡単に言葉にすれば、三次元的な空間の表象とは別の秩序によって絵を構築することを二人ともやろうとしていて、そのために果たす色彩の役割がとても似ているのだ。(ゴンブリッチはマティスを、陰影を切り捨てたベタ塗りと形態の装飾的な単純化によって空間を潰して色彩そのものの輝きを解放する、みたいに記述しているけど、勿論これは全く充分ではない。)この本のすこし前のページでは表現主義について触れられているのだが、表現主義がいかに人間の内面を「表現する」ために形態や空間を大きく歪ませているとしても、それは結局三次元的な表象に依存した上で、それをたんに「歪ませている」だけなのに対し、カンディンスキーやマティスは、それとはまったく別の方向を向いている。あるいはキュービズムが、圧縮された浅い奥行きのなかで、細かく仕切られた切片を少しずつズラして配置することで遠近法を克服しようとしたこととは、別の方向をみている。カンディンスキーやマティスが考えているのは、色彩そのものの美しさを解放することではなく、画面のなかで(必ずしも形態に結びついているわけではない)色彩が(あるいは、ある色彩と別の色彩とが)、その配置の仕方によってどのように機能するのかということであり、その色彩の機能によって、三次元的(遠近法的)な秩序とは別の秩序(空間性)で、画面を成り立たせることが出来るのではないか、ということだと思う。
「食卓-赤の調和」で、画面の多くの部分を占める赤と、そのなかに、面積としてはごく少ない溢れるように散らばる黄色(果物や人の肌)とが、同等な強さで拮抗していて、赤が黄色を、黄色が赤を互いに活気づけ、ある生き生きした感覚を生んでいる。そして、その暖色の活気の有る響きとは別に、テーブルクロスや壁紙の模様、窓の外の風景に見られる、緑や青といった寒色の響きが、ある抑制的な清涼感を生み出している。そしてこの絵においては、暖色の響きと寒色の響きとが、同一平面上で拮抗しているのではなく、別の次元にあって引っ張り合っているように感じられる。暖色の響きを感じる時と、寒色の響きを感じる時にはズレがある。暖色の響きと寒色の響きは、同時に鳴っているのではない。あるいは、同時に鳴っていても別々に聞こえている、と言った方が正確かもしれない。(女性の来ている黒い上着は、暖色の響きと寒色の響きと分離を無理矢理つなぎ止めているかのようだ。)このズレこそが、空間を生んでいる。
あるいは、暖色の響きを感じる時、黄色に注目している時に感じている赤があり、それは赤を見ている時の赤とは違う。赤の広がりを目が漂っている時に感じている黄色があり、それは黄色に注目している時の黄色とは違う。赤に漂っている時にふと黄色い部分に目がとまると、その黄色(の感覚)は面積は小さくても視野のなかで(脳のなかで?)大きく拡張し、同時に、赤のなかに散らばる他の黄色の点との関連が意識され、散らばった黄色によって開かれる別の空間がひろがる。しかし、視線が他の黄色へと広がってゆく過程で、そのまわりを覆う赤に目が引っかかって、目は再び赤のなかに溶解してゆく。このような、色彩の関連によって広がり、動いてゆく空間は、三次元的な奥行きや膨らみによる空間とは別種の(別の次元の)広がりを画面にもたらす。
ここで、カンディンスキーが抽象絵画の創始者の一人であり、マティスは決して抽象絵画を描かなかったという違いは、大して重要ではない。というか、決して具象的な表象を手放さなかったマティスの方が、絵画の空間の構造化という点ではより過激であり大胆であったといえる。カンディンスキーも「コサック兵」では、まだ具象的な形態がみられる。コザック兵らしい三人の人物や銃(警棒?)、赤い帽子のような形象が描かれているし、建物や町並みを描き出す線もみられる。ただマティスとあきらかに違うのは、カンディンスキーにおいては上下というか、(空間の構造化において)重力が無視されていて、地面が右に傾いていたり、左に傾いていたりする。しかしそのことが無駄な混乱を画面に生じさせ、結果としてその混乱を処理し切れていない。マティスの「食卓-赤の調和」では、図像的には上下は揺るぎなく存在しているが、しかし、画面の多くを覆う赤の広がりや、テーブルクロスや壁紙の蔦のような模様の効果によって、あるいは重さを支える地面(床)がフレームの外にあることの効果によって、カンディンスキーよりもずっと重力から解放された浮遊する感じがある。マティスでは、具象的な事物の形象が絵を観る人が目を留める(認識する)ための印(拠り所)として機能するために、その事物間の関係を、より複雑に組織することが可能になるのだと思う。
カンディンスキーの絵よりマティスの絵の方が「自由だ」と感じるとしたら、それは、マティスが「認識の拠り所」としての具象的形象と「重力」を手放さなかったことによって、その形象間(色彩間)の関係の構築をより大胆に複雑化できたからだろう。そして、マティスと同様に決して具象的な形象を手放さなかったピカソよりも、マティスの方が「自由だ」と感じられるとしたら、それはマティスの方が三次元的な空間の秩序から(そして重力から)、ピカソよりずっと少ない拘束しか受けていないからだと思われる。(ピカソは、時にそれに強く抵抗しつつも、常に三次元的な秩序に強く拘束されている、ピカソの色彩がどうしても濁ってしまうのは、最後まで明暗法から自由になれなかったからだと思われる。)しかし拘束の少なさは根拠の希薄さにもつながる。実際、マティスの絵では時に、「装飾的な単純化」という言葉が決して間違えではないようなそっけない形態がリアリティが損なわせいてることもある。だからこそいっそう、マティスにとって具象的な形象を「描く」ことは重要だったのではないだろうか。例えば、女性への性的な関心が画家に女性を描かせ、花のうつくしさへの新鮮な驚きが画家に花を描かせる。このような、現実的なものへの「関心」が、画家と絵画、観者と絵画、そして絵画と世界とを結びつけるという点が、マティスにとっては重要であったと思われる。これは、現実的な事物の表象と切り離された「純粋な絵画」を指向するカンディンスキーとは異なる点だろう。しかし、色彩相互の関係のさせ方や、色彩相互の関係によって三次元的な空間に必ずしも拘束されない秩序(や動き)をつくり出し、それによって絵画を成立させようとする点では共通していて、それは前の世代というか、後期印象派のゴッホやセザンヌとは異なっている。
色彩相互の関係が三次元的な空間の秩序とは別の次元の空間を生むということ自体は、特別に「新しい」ということではない。セザンヌがヴェロネーゼに見出していたことは、要するにそういうことだと思われる。(マティスもこれを、ピエロ・デラ・フランチェスカから学んだのかもしれない。)しかしそれはあくまで表向き成立している三次元的な空間の秩序の「裏」で響いているものとしてあった。それが、三次元的な秩序よりも前に出て来る、あるいは、三次元的な空間を消してしまう程にまでなってくることが、それ以前とは違う。マティスが「現実的なものへの関心」を手放さなかったと言っても、それはセザンヌのモチーフへの執着に比べれば随分と希薄なものだと言えるだろう。(マティスはセザンヌのように野蛮に「自然」を信じてはいない。)そこにはやはり、現実への嫌悪があり、現実を支配している秩序とは別のものを(別の次元を)、芸術によって生みださねばならないという、強い切迫した動機があったのかもしれないと感じる。(ここには、表現主義主義やシュールレアリスムやダダ以上に「強い」現実への否認があるようにも感じられる。)第二次大戦中、妻や娘が対独運動に身を投じ生命の危機にあるなかでも、アトリエにこもってうつくしい女性のモデルを描いていたというマティスが、その時に何を考えていたのだろうかということを思う。