●(昨日からつづく、小林秀雄『近代絵画』をめぐって)
最近、ゴッホ色覚異常だったみたいな話から、ゴッホと色彩について、というか、絵画において色彩って一体何なの?、という雲をつかむような事柄についてあてもなくいろいろと考えていて、そんな時に読んだ以下に引用する小林秀雄ゴッホについての文は、かなり衝撃的にズカーンと頭のなかに入ってきたのだが、しかし、(昨日も書いたけど)別にゴッホや色彩などに特に興味がない人が読んだら、それこそ空疎で凡庸な修辞でしかなく、悪しき「絵画の文学化」としか読めないのではないかとも思ってしまう。ぼく自身だって、時と場合によれば、そのように感じるかもしれない。
《彼が一番好み、重んじた黄色にしても、それが何を現すかを彼は言う事が出来なかった。彼が、はっきり言えたのは、その色調に発狂が賭けられていた、という事だ。彼は、一時、パリにあった時、印象派の色彩に強く影響されたが、これは、ドラクロアによって開眼された彼の色彩に関する考え、「自然の色から出発するな、自分の色調の調和から、自分のパレットの色から出発せよ」という根本の考えを変えはしなかった。彼にとって色彩の不安定は、光の分析によって現れるのではない。内的な感情の動きに結びついた色が動揺するのである。》
「狂気の画家ゴッホ」という陳腐な紋切型をなぞっているだけのように聞こえなくもない。しかしこの部分で言われていることは、ゴッホの章の手前に置かれたセザンヌの章と響き合うことで、そんなに単純なことではなくなる。
ここでドラクロアの「自然の色から出発するな」という教えは、光学的な理論(科学)によって解放された視覚からもたらされた印象派後期印象派的傾向に対する戒めとしてゴッホに作用している。この点ではセザンヌと共通している。セザンヌはベルナールへの手紙で「画家にとって光は存在しない」と書き、「光を生み出すわけにはいかないのだから、他のものを借りて、これを現さなければならない。この他のものとは即ち色だ」と書く。印象派以降の流れとして、一方で光学理論に準拠するような作品(スーラのような)があり、もう一方にひたすら詳細に光を追いかけようとする作品(例えばモネ)があるが(どちらも視覚-光学によって開かれたという意味で同根であるが)、そのどちらによっても捉えられない「深さ」を捉えるために色彩が要請される。ここで色彩とは色調(トーン)であり、色調の編成、配置のことだ(光の散らばりではなく)。セザンヌは、「色彩は宇宙と脳髄が交錯する場所だ」という意味のことを言う。それは色彩が、客観でも主観でもないその中間にたちあがる出来事だということだ。光、あるいは科学による自然の描像を目指すのではなく、色彩(色調)という媒介を通じて自然(宇宙、深さ)と脳とを響き合わせること。それは視覚的な効果へ向かうのではなく、視覚を通じて視覚を越えていこうとする。「自分の色調から出発しろ」というドラクロアの教えは、目に見える光を追うのではなく、目に見えない色調(トーン、色の響きや色と色の関係と配置からあらわれる「深さ」)を自分の内部に「響かせる」ことから出発しろということで、主観性の強調とは違う。目に見えるものを追うのではなく、見えるものの中に潜む(見えないもの-深さとしての)トーンを聴き取れ、と。そしてその自然から聴こえるトーンと、キャンバス上に編成される色彩のトーンとが響くようにタッチを置く。セザンヌにとって、このようなトーンを導く自然がモチーフ(導調)と呼ばれる。
セザンヌにとって画家は、モチーフから聴き取ったトーンを正確にキャンバス上に再編成する(変調する)ための感光板であり、だからこそ「自分」が出てくると絵は失敗するということになる。しかしゴッホにおいてはそこに大きく自分-身体が介在する。いや、セザンヌという自分-身体が、執拗に仕事を持続しようとする犬のようなものとして存在するとすれば、ゴッホの自分-身体は、画家としての仕事を妨害するほどに激しく燃え上がる波長-破調としてあったということだろうか。セザンヌにとって、宇宙(世界)--色彩・媒介・響き--画家(脳)であった配置が、ゴッホにとっては、世界(自分の身体-狂気を含む)--色彩・媒介・響き--画家(脳)という配置となり、狂気を孕む身体が画家としての自分から切り離されて世界の側にあることになる。だからこそゴッホにおいては(セザンヌと異なり)《内的な感情の動きに結びついた色が動揺する》ということになる(「内的な感情」は世界の側にある)。だからゴッホの《色彩の不安定》は、後期印象派的な色彩の実験とも、表現主義的な主観性とも異なる(少なくともぴったりとは重ならない)ものなのだ。セザンヌがサントヴィクトワール山を見る(聴き取る)ように、ゴッホは自分の身体が孕む狂気の拍動を見る(聴く)。山とセザンヌの間で灰色が揺らめくのと同じように、狂気とゴッホの間で黄色が動揺する。それはどちらも、主観でも客観でもない。
だからゴッホにとって自らの病気は「モチーフの一部」であったと言える(セザンヌの場合と同様、モチーフとは画家によって選択される「主題」や「画題」ではなく、画家よりもはるかに強くて画家に仕事を強いるものだ)。アルルの風景が示すトーンを聴き取ろうとし、夜のビリヤード場が示すトーンを聴きとろうとする時、その風景には予め自らの内にある病気が拍動する動揺が含まれている。その時《色が動揺する》。だとすれば、もし仮にゴッホ色覚異常であったとしても、それもまたゴッホにとっては必然的な「モチーフの一部」であったということにならないだろうか。それは、見えるものが響かせる見えないもの(世界のトーン)のなかに予め埋め込まれ、ゴッホが実現する絵画のトーンを形成する一つの重要な要素となるっていて、色を動揺させる、と。
●フランケンサーラーが亡くなったそうだ。もう五、六年は前になるのだろうか、アメリカ美術にも詳しいある研究者に「フランケンサーラーってまだ生きているんですか」と聞いたところ、「えっ、フランケンサーラー、どうかなあ……、死んだという話は聞かないから生きてるんじゃないのかな」という答えだった。フランケンサーラーはアメリカ美術史上で重要な作家だから、美術に詳しい人なら大抵その名前は知っている。アメリカの美術館の収蔵品を展示する展覧会があると、そこに一点くらいは入っていたりする。でも、(五、六年前の)「現在」という地点において、その作品に興味をもっている人は絶滅寸前くらいの感じだった(いや勿論、「研究」している人とかはいるだろうけど、そういう感じじゃなくて「今」な感じで)。「なんとか日本でフランケンサーラーのレトロスペクティブっていう可能性は……、やっぱないですかね」という言葉を誰に投げかけても、無言で苦笑い、みたいな感じ。この五、六年で、そのような状況が少しでも変わっていることを願います。ぼくにとってフランケンサーラーはポロックよりも重要な作家です。