2025-12-08

⚫︎「新潮」1月号で保坂さんが「小説のことは小説家にしかわからない」という発言について書いている。この言葉は、小島信夫が、自分自身と保坂さんに対して《嘆くように慰めるように》言った言葉だ、と。そして保坂さんはそれをまた、自分自身と小説を書いている多くの人たちへ向けて、嘆くように、慰めるように、そして、励ますように言う(書く)。

この言葉は時に論争的な効果を持つが、ぼくはそこにはあまり興味がない。この言葉は一つの真理をある側面から照らし出すが、別の側面からみると必ずしもそうではないかもしれない。重要なのはある側面から真理であるということで、別の側面からは違うとしても、「まあ、それはそうでしょう」というだけのことで、そのことで真理であることが揺らぐわけでもない。

ぼくにとって重要なのは、この文章に書かれているもう一つの小島信夫の言葉だ。賞の選考委員は、選考委員になった途端に「選考委員」として小説を読んでしまうからダメなんですよ。ぼくはこの話を、もうずいぶん前になると思うが保坂さんの口から聞いて、「小島信夫すげえ」と思った。一言で真実を言い当てるなあ、と。この言葉を聞いた時から、(自戒としても)この言葉のことを忘れたことはない。

⚫︎ぼくが美術や文芸など、芸術に興味を持つようになった80年代、90年代には「批評」や「批評家」がとても強かった。それはもう今からは考えられないくらいに。そして、ぼく自身が芸術に興味を持ち、かつ、深みにはまるきっかけになったのも「批評」を通じてであるという側面が強くあることは否定しない。その一方で、制作者の言葉はとても弱く、貧弱だった。ぼくはそのことに強い危機感を持っていた。批評に対抗できるような「言葉」を持たないと、アーティストは批評家にとって都合の良い「手駒」のように使われるだけだ。

一方に、批評から受けた恩恵に対する大きな感謝と批評へのリスペクトがあるが、他方には、批評というか、批評家に対する強い敵意があるというアンビバレンスな状態。批評家なんて口ばっかりで何も分かってねえわ。しかしだとしても、ちゃんと「口(言説)」で対抗できなかったら、結局は「口がうまい奴ら」に言いくるめられるだけだ(「口の上手い奴ら」の背後には「権威」すらあるのだ)。90年代に制作と発表を始めたぼくにとって、これは避けられない、強いられた課題だった。

(「言いくるめられる」と、ただ「言い返せない」だけでなく、自分自身の基準も狂わされ、破壊されてしまうことがある。だから対抗する「別の言説」が必要になる。死活問題なのだ。)

(そんな時に、あまりにも「強すぎる」お手本として岡崎乾二郎がいたのだった…。)

(また、保坂さんの小説そのものが、90年代的な「批評」に対抗し得るものだった。)

だから、小島信夫が《嘆くように慰めるように》「小説のことは小説家にしかわからない」と口にするのはには強い納得がある。それによって自分を、というか、「自分が作るべき作品のあり方」を守っている。守る必要がある。

⚫︎だが、今は時代が変わった。「批評」はあまりにも弱く、むしろ「実作者」が権力を持ち過ぎていることの方が問題であるように思う。そこでもう一つの小島信夫の言葉が効いてくる。「賞の選考委員は、(小説家であっても)選考委員になった途端に「選考委員」として小説を読んでしまうからダメなんですよ」。つまり、小説家だからといって「小説のこと」がわかるわけではない。「小説のことは、(選考委員としての)小説家にもわからない」。状況が変わったとしても、実はあんまり変わっていなくて、どちらにしても「自分の小説(あるいは作品)ことは自分基準で、自分自身で考えるしかない」ということだと思う。

実際、新人賞や文学賞の選評を読むと、なぜこの人(小説家)は、ただ「小説が書ける(作品が作れる)」くらいのことでこんなに偉そうに上から目線なのかと思うことがよくある。あるいは、たかだか10年か20年デビューが早いというだけで、いくつかの賞の受賞歴があるというだけで、引いてみれば、同じ時代に、同じ日本語圏で小説を書いている同時代の作家ということではフラットな存在なはずなのに、「選考委員」としての先輩マウントを取れるのか、と思う。

出版業界で一定の実績や評価のある人の書いたつまらない小説は山ほどあるし、未だ「デビュー」していない無名の人が書いた「良い小説」もいくらもある(ことを、ぼくは実際に読んで知っている)。それはつまり「良い小説」を書きさえすれば認められるわけではない、ということだが。

⚫︎「えらい作家」や「社会的評価」の基準を頼ることはできない。あくまで自分基準で、自分自身が考え抜くしかない。しかし、それを貫いたからといってに報われるとは限らない(というか、普通は報われない)。これは絶望などではなく、普通のことだ。ここから始まる。