小島信夫『寓話』

●キャリアも長く多作で、その上作品の多くが入手困難であるため、その全作品のうちのほんの僅かしか読んでいないのだけど、ぼくが読んだ小島信夫のなかで圧倒的に好きなのは『寓話』で、特にそのなかでも茂子さんという女性が書いた手紙の部分がとても好きだ。『寓話』は、『燕京大学部隊』や『墓碑銘』といった小島氏の作品のモデルとなったとされる浜仲という人物から、小島氏宛に長文の、しかも暗号で組まれた手紙が届き、その手紙を「小島信夫」が自身の連載小説に引用し、雑誌に掲載したことから、それをめぐって様々な波紋がひろがってゆく、というようなつくりになっている。浜仲は、戦争中の上官でもあり、自分をモデルにして小説を書いた作家でもある小島信夫について、その発表された作品のすべてに目を通しているだけではなく、様々なことを探っているらしい。昭和三十二年に小島信夫アメリカに滞在した時、その動向を探らせるべく、当時アメリカ人と結婚してニューヨークに住んでいた妹の茂子に、小島信夫をスパイすることを依頼する。茂子は、とうとう小島信夫と直接的に接触することはなかったものの、きわめて近くまで接近を試み、その過程を兄への手紙として書き送る。茂子から兄への手紙は、たんに小島信夫の動向に関することだけが書かれるわけではなく、例えば小島信夫を追いかける旅の途中で、父親の異なる兄の父のもとを尋ねたりしていて(しかし兄の父は既に亡くなっていたのだが)、そのような旅の過程で出会ったこと、考えたこと、思い出したことなどが、次々と書き連ねられ、膨大な量のものとなっている。そしてその茂子から兄への手紙は、手紙が書かれてから約三十年後に、兄である浜仲による暗号で組まれた手紙のなかに引用されることで、小島信夫のもとに届けられ、それを小島信夫が自身の小説に引用するというかたちで、読者のもとへと届けられる。構造はたしかにややこしいけど、ここでの茂子の手紙はとてもいきいきとしていて素晴らしく、それを読んでいる時は、あかたも、つい最近茂子によって書かれ、投函され、いましがた自分のもとへ届いた手紙を読んでいるようでもある。しかし、そのようにして延々とつづく茂子の手紙はある地点でふっつりと度切れ、その後、別の女性からの手紙によって、茂子はその手紙が書かれた直後に亡くなったことが知らされる。ほんの少し前まで、茂子によるいきいきした手紙を読みつづけていた読者は、その知らせによって、手紙が書かれたのが三十年近く前であるという時間の幅をふいに実感させられ、それと同時に、三十年前に起こった茂子の死が、つい最近の起こったことであるかのようなショックを受ける。書かれたものを「読む」ことの現在性と、しかしそれが実際に「書かれた」のは三十年前であるという事実との間に、何とも言えないぽっかりとした穴のようなものが開くのだ。(とはいえ、この茂子の手紙を実際に書いているのは、連載中の小島信夫なわけだけど。)読むことは常に、書かれたことを現在において立ち上げることであり、それが書かれた実際の時間をしばしば離脱してしまう。そして小島信夫は読者をさらに混乱させるように、最後の方で、年老いた現在の茂子からの手紙さえ小説に書き込む。茂子が死んだというのは嘘だったのか、それとも、この自らを茂子だと名乗って手紙を書いている人物が嘘をついているのか。
実際に本人と付き合いがあるのとは違って、書かれたものを読むということによって「知っている」ような人の死というのは、このようになんともあやふやな感触をもたらす。勿論、事実としての小島信夫の死を疑ったりする気はまったくないけど。ぼくは、いままで折に触れて小島信夫を読んだように、これからも時々読むだろう。そのような「ぼくの側の事情」と、客観的な事実としての「小島信夫の死」とを、どのように関係づけたらよいのだろうか。『寓話』を読み返すことで、さらにそれが混乱してしまうのだった。