ロッセリーニの『ストロンボリ』などをDVDで観ながら、リアリズムと一神教との関係について、とりとめなく思いを巡らせていた。以下の引用は、そのための参考。樫村晴香「Quid?」。
●《(...)「人間とは何なのか、私はどこからやって来たのか」という問いも、それが昼の明るい陽射しの下で声高に問われるなら、やはり精神科の管轄に所属する。しかしそれが昼の陽射しと生産と交換の最中でなく、夕暮れから夜の時間に、声になるわずか手前の喉元で出されるなら、人がそれを発するのを誰も聞いたことがないのに、人がそれを発しているのを誰もが知っている、ありふれた問いとして、今日でもなお存在する。》
《「机は何か、コップは何か」という問いかけが馬鹿げていても、「私は何か」「人間は何か」が可能なのは、それが「問いかけること」の祖型、いわば原-問いかけであり、そこで問われているのは問いかけの行為そのものであり、そこには世界の分節と言語の手前で、原初的他者に向かおうとする力動が刻印されているからだ。「私は何か」は、発声が言葉と意識に変わる最初の場所の痕跡でもある。それは同時に声が向かい、探し求めた最初の他者の痕跡でもある。(...)「私は何か」は、象徴的・日常的世界での自我の自信喪失をきっかけに、原初的他者への依存を求めて、しばしば退行的に出現するが、しかしそれはまた、高揚する自我が日常の臨界まで漂流し、星雲の中での世界との最初の出会いに回帰する一瞬にも、発現する。》
《(...)その問いは言葉から現れながら、その起源を言葉の中にもたないので、「私は何か」は視覚と意識の間を曖昧に揺れ動く。「私は何か」は舌の上で反芻されつつ、意識は窓の外へと逃げてゆく。その問いが「意味するもの」、その中身、あるいは答は、高層建築群であり、街路樹であり、少女の姿であり、星雲である。声と視覚が通常の意味作用のようにはつながらない限りで、この問いは延命し、答えを探し、やがては自分を忘れ、消えてゆく。「私は何か」は原初的他者に向かう高揚感、満足感と、その他者に出会わなかった失望と共に、多くの場合は、私の意味、私の無意味、私の価値、私の役割、その不在という、自我に関わる表層的・日常的意識の中へ、去勢され返ってゆく。》
《(...)もし人が「私は何か」を自我の意味へと去勢せず、しかもそれをあくまで言語と意識の中に留めおくなら、神話が再来し輪廻が始まることになるだろう。そこでは世界が到来しつつ、目に入り込み、私となる瞬間が、多型倒錯的・退行的に保存されつつ、他方で全ての意味作用はその瞬間に回付され、認識から解き放たれ、最終的に「私はどこにでもいる」が意識のなかで造形される。原初的視覚と原初的他者は、カメレオンを変態させる森の緑のように実体化され、意識と時間の中に侵入し、「私は常に生成する」という感覚、「私はどこにでも生成する」という声となり、それが自我を飛び越え、認識を眠らせ、世界の中の自我である「この私」の、死の問題、あるいは世界の中の自我と自我との相克である、善悪の問題を抹消する。》
《声と言葉の場所で視覚を用い、幼児的多型倒錯をスキゾフレニックに利用すること。(...)それは本質的に、多神教的世界が人々を迎え、死を遠ざけるやり方だ。一神教創始者たちは、この飛躍、すなわち意識と存在への、視覚と動物化のこの流用を、侮蔑、嫌悪、拒絶した。エジプト第一八王朝のアメノフィス四世(アケナトン)が動物神群を排除して史上初の一神教を開始し、ブッダが輪廻を拒否してこの現在での時間の停止を宣言した時(ブッディズムと輪廻の混同は広く流布した無知である)、動物とメタモルフォーゼの拒否には、この現在、この自我の価値へのヒステリー的拘泥と、死の恐怖の再定位が賭けられていた。そしてアメノファス四世が太陽の光と女性の美しさだけを信じ、ブッダが「何者にも耳を貸すな」と言ったように、それは世界と私との現出の瞬間の視覚の場所に、断固として留まり、そこから身体を生成させず、説話と権力を生成させず、その瞬間に受動化して、目を世界に預けたままにしようとする。》
●今日の天気(06/10/31)http://www008.upp.so-net.ne.jp/wildlife/tenki1031.html