●今日発売になる「ホームシアターファイル」(音元出版)という雑誌に、ぼくの書いた、ゴダール『アワーミュージック』のレビュー(「オルガの死は、どの程度ナナの死の反復なのか。」)が載っているはずです。まだ、確認は出来ていませんが。
●昨日書いた、《作り手と受け手の快楽はそもそも簡単には接続できない》という話にちをょっと補足する。ぼくは、人を「つくる人」と「受け取る人」という風に分けて考えた事は一度もない。(ぼくは「表現者」なんていう言葉が大嫌いだ。)人は誰でも、何かしらの行為を通して何かしらを追求し、何かしらを(他者に向けて)表現するのだし、そして、誰でもが、他者の存在や思いを感じ、読み取り、他者の「叫び」をこそ自らの享楽とするのだと思う。だからここで言っているのは、一人の人間の内部においても、作る側と受ける側とがズレてしまうということなのだ。(つくる人としての料理人と、食べる人としての料理人とのズレなど、プロの立派な料理人にだけあらわれる問題ではなく、むしろ家庭の主婦=主夫や一人暮らしの者にとってこそ、ありふれていて、かつ、切実な問題であろう。)そしてこのズレは、「技術」を明確に意識することによって、よりくっきりと浮かび上がってもくる。