●東大の駒場キャンパスで、平倉圭の博士論文公開審査。「ジャン=リュック・ゴダール論---編集/ミキシングによる思考」。14時から17時。大学のキャンパスには巨木が沢山あった。その後、新宿に出て少しぶらぶらして、20時から、田町のスタジオアーキタンツで、「新人振付家のためのスタジオシリーズ」(「track & traces」捩子ぴじん「Keep to small places」福沢里絵)。22時半くらいまで。部屋に戻ったのは、0時半頃。
博士論文の公開審査なんてはじめてみたけど、メチヤクチャ面白かった。平倉さんによる論文主旨の説明が三十分くらいあって、あとは審査員(田中純(主査)・松浦寿輝石田英敬蓮實重彦前田英樹)との質疑応答。平倉さんによるゴダールに関するレクチャーは何回か受けたけど、論文は読んでいない(出版が決まっているらしいので読めるのが楽しみだ)ので、論文の内容についての細かいことは分からないのだが、なにより、審査員のそれぞれが、(当たり前だけど)それぞれのキャラ全開でマジでツッコミを入れてきて、それに平倉さんは一歩も引かずに応戦していて、それがすげーと思った(本当に「本で読んだ通りのキャラ」なのだった)。特に最後に質問をした、主査である田中純平倉圭とのバトルは、手に汗握るというのか、緊張に満ちていてるもので、とても刺激的だった(それは、前田英樹蓮實重彦との質疑応答が事前にあって、それを受けてのことなのだが)。平倉さんの発表を含めてがっつり三時間、ほんの一瞬も退屈することがなかった。寝不足だったのに眠くなる余裕もない。
スタジオアーキタンツでのダンスで、捩子ぴじんの作品は、これから面白くなりそうな雰囲気というところで終っていた。ぼくにとってこのダンスが面白かったのは、ダンサーの内観と外観とがふっと繋がってしまったような「目のなかのミジンコ」の場面。神村恵がどこかで書いていたのだが、ダンサーがある動きを動くとき、そのきっかけ、その動機、その感覚は、外からそれを観ているだけでは決して分からない。ダンサーが内側から掴んでいる動きと、それを観る者が外側から掴む動きとは決して一致しないだろう。そしてこの作品は、そのズレが意識されることこそがモチーフになっているように思えた。そのズレは、当然、振付家とダンサーとの間にもあるだろう。そして、そのズレというか断絶が、(飛蚊症による?)「目の中のミジンコ」をダンサーが掴もうとする動きをし、そして振付家の捩子さんがそれに言葉によって介入しようとする時、ダンサーの内側と外側とがくるっと反転して繋がってしまったかのような錯覚を覚え、そこが面白かった。ダンサーに見えている目の中のミジンコはダンサーの知覚にのみ発生しているもののはずで、私に見えているそれとは違うはずなのだが、それがあたかも共有された客観的な外的事物のように感じられ、しかしそれはやはりズレている。ダンサーの知覚がその外にまで飛び出してしまったかのような感じ、というのか。福沢里絵の作品は、ぼくにはひたすら長くて単調としか思えなかった。
スタジオアーキタンツは、劇場ではなくダンサーがレッスンするためのスタジオで、壁の一面が全部鏡で、観客は鏡に向かって座ることになり、つまり、観客はまず、自分たち「観客たちの像」と向かい合うことになる。これはちょっと不思議な経験だった。