電車の広告と吉川民仁、そして吉田哲也

●銀座からの帰りの電車は、車両のなかの、普段広告が貼付けてあるスペースの全てに、障害を持った子供が描いた絵(写真ではなくオリジナルだった)が貼ってあった。全く広告がない電車というのに乗ったのははじめてだと思う。(といっても、この企画をしたのは読売新聞であるという掲示はされているので、この電車全体で読売新聞の広告になってはいるのだが。)ここで、「障害を持った子供」という存在を特権化するのはどうかと思うが、単純に、広告のかわりに「絵」が貼ってある、というだけで、車内の雰囲気は随分と普段とは異なるものになる。多くの人が、絵を指差しながら、あれがかわいいね、とか、あれは一体何を描いているんだ、とか、笑顔を浮かべつつ話していた。絵の持っている力というのを、ぼくは改めて感じさせられた。絵なんて誰にでも描ける(絵は画家だけが描くものではない)し、そして、絵を観ることは多くの人にとって喜ばしいことなのだ。人は、少なくとも一万五千年以上前から絵を描いているし、今も描きつづけている。このことの意味(あるいは「力」)はとても大きいように思う。ところで、美術の世界では(世界的な傾向として)「絵画はもう終わった」ということが常識となって久しい。それどころか、「絵画はもう終わった」ということさえ「終わって」いて、あまりにも何でもありになって混沌とした「美術界」では、最近「絵画の復権」なんていうことまで言われ出している。しかしここで「復権」されている絵画とは、批評的言説をあらかじめ先取りしているような(つまり、はじめから「言い訳」しかないような)、あるいは美術史をシミュレーションしているような、「あえて」するアイロニカルな絵画でしかない。そのような絵画が、たんに絵画という保守的な形式を有しているというだけの理由で、空疎に復活してきている。つまりそれは、美術界のなかで長い事「絵画」がメジャーな形式であった、という事実に寄りかかった傾向でしかない。それはまさに「絵画の死」後にあらわれた廃墟のような絵画でしかないのだった。
しかし、そんな「美術界」の傾向(動向)とは無関係に、人はたんに絵を描くのだし、人はたんに絵を観ることを喜びと感じる。そして、そのような単純な事実のみを根拠として自らを画家として鍛えあげようとする人も、現に存在する。芸術ゲームで「勝ち」を納めることのみに興味がある人とは異なり、そしてまた、絵画原理主義者の妙に抑圧的で硬直化した態度とも異なり、絵画が人の感覚に「何」を与え得るのかということを(余計な事に捕われることなく)真摯にかつ柔軟に追求する人こそが、画家であろう。銀座のGallery覚で行われた吉川民仁・展に展示された作品を観て、これはまさにそのようにして描かれたものだと、ぼくには思われた。ぼくが以前に、吉川さんの作品を纏めて観たのは佐倉市美術館でやった「絵画の領分」という展覧会くらいしかなく、その時の印象は、正直言って、上手い人が陥りがちなマニエリスムっぽい感触を感じてしまっていた。しかし今回展示されていた作品は、途中に余計な介在物を経ることなく、画面上でなされているひとつひとつの行為が、直接的に空間を掴み、空間を揺るがしているような生々しさに満ちていて、とてもクリアーで、かつ、ドキドキするような作品だった。言い換えればそれは、余計な「言い訳」(ちゃんと「上手い」ということを見せなければいけないとか、このくらいのことは当然考えている、ということを示さなければいけない、とか、そういうこと)を抜きにして(「言い訳」に頼らず)、やりたいこと、やるべきことだけで勝負しいてるという晴れやかさと軽やかさということだろうと思う。
●吉川民仁・展の会場で会った画家の金田実生さんに、美術家の吉田哲也氏が亡くなった事、そして今、藍画廊で追悼展が行われている事を聞いて、おどろいた。(吉田哲也追悼展は、銀座の藍画廊で12月17日まで。)吉田氏はたしか64年生まれで、まだ40歳を過ぎたばかりくらいのはずだ。ぼくは最近の吉田氏の作品を丁寧に追っかけて観ていたわけではないし、吉田氏の熱心な観客という訳でもない。追悼展に展示されている作品もそうなのだが、吉田氏の作品は、とてもデリケートで、親密で、うつくしい独特の感触を持っていて魅力的であるのだけど、それがあまりにも、小さく、はかなく、縮んでゆくような傾向を持ってしまっている事に、ヤバさのようなものも感じていた。ぼくが吉田氏の作品で最も衝撃を受けたのは、95年にセゾン美術館で行われた「視ることのアレゴリー」に出品されていた作品で、それは、複数のトタンの板がハンダ付けによってざっくりとした立体的形態に組み立てられていた大きな作品で、そのトタンの立体は、自らの重さを支えきれず、ある種の鷹揚なだらしなさで、だらんとたわんでいた。その作品の、緊張感とは無縁の弛んだ形態は、およそ美術作品とは思えないだらしなさで、しかしそのだらしなさは、思わず口元が緩んでしまうようなユーモラスな感覚と、なんとも言えない鷹揚な開放感をもったものだった。美術について真剣になるあまり、ついつい頑なになって頭が硬直してしまいがちな当時のぼくにとって、そのだらしなさによって感じられる脱力感や、こういう感じでも「作品」が成り立つんだという発見は、とても貴重なものだった。(と同時に、そういうセンスがとてもうらやましかった。)だからこそ、それ以降の作品が、過度に繊細に、過度に小さく縮んでいってしまうことに、(それが魅力的であることは認めつつも)どうしても納得のゆかない感じがあったのだった。