●以下は、3月3日の東京新聞の夕刊に掲載された、パナソニック汐留ミュージアム「マティスとルオー展 ―手紙が明かす二人の秘密―」の美術評のテキストです。
象徴派の画家、ギュスターブ・モローの教室で共に学ぶ学生だったマティスとルオーは、その後も生涯の友として交流が続きます。本展は、約五十年に渡って交わされた手紙を軸に、二人の生涯と作品の展開を示すものです。しかし、もう一つ重要な事実を浮かび上がらせています。二十世紀フランスを代表する画家であるこの二人の、出版物とのかかわりとその重要性です。
それはたんに絵の複製を載せる画集に留まるものではなく、本という複製芸術作品の制作と言えるものです。そしてそれは、絵画作品の展開にも影響を与えることになります。
テリアードという人物が「ヴェルヴ」という豪華な美術雑誌を発行します。マティスは、この雑誌の創刊号の表紙絵として、晩年の彼の主要な技法となる切り紙絵をはじめて発表します。この雑誌で特集される画家は、表紙や口絵、タイトルのデザインなども担当し、また、雑誌のために制作された作品も掲載されます。そのため、本の一部としての作品、あるいは本という形の作品、という意識が生まれるのではないでしょうか。実際、展示されているマティスの表紙画による「ヴェルヴ」誌は、雑誌の大きさや厚み、紙の質感まで含めてマティスの作品だと感じられる美しいものです。
ルオーにも、テリアードによって刊行された『気晴らし』という詩画集があります。この本ではテキストの部分も画家の絵筆によって書かれていて、まさに本全体としてルオーの作品と言えます。本展では、『気晴らし』のために描かれた十五点の原画がすべて展示されていますが、この連作からは、初期のガッシュ(不透明水彩)画の瑞々しさと晩年の「聖顔」のシンプルな強さが共に感じられ、さらに両者にはない軽やかさもまでもが感じられます。
本には、絵とテキストの関係性があり、紙の質感に触れ、ページをめくるという読者の関与や、ページによって移りゆく時間的であり空間的でもある展開があります。印刷過程で他人の手を通すことにもなります。絵画にはないこれらの要素が、画家の感覚を刺激したのではないでしょうか。私見ですが、マティスをロザリオ礼拝堂の建設へと導いたきっかけの一つに、本によって絵画とは別の空間性に開かれたことがあるように思われます。