金井美重子、デュシャン、マティス

●本屋で金井美恵子の本を立ち読み(買ってない)していたら、マティスについて書かれた部分で、デュシャンの言葉が引かれていた。デュシャンは、マティスの色彩は「その場」では理解しきれなくて、「絵の前から立ち去った後」にじわじわ効いてきて、いつの間にかその作品(色彩)に魅了されている、と語っているらしい。「マティスへの興味は尽きません」と。この言い方はいかにもデュシャンっぽくて、つまりこのような言い方をするということは、デュシャンが本当にマティスに興味があったことを示していると思う。この言い方は、(最良の)マティスの色彩の、知覚から溢れ出てしまうような感じを的確に捉えているだけでなく、四次元とか極薄とかいったデュシャン自身の関心とも繋がる。デュシャンが色彩に興味をもっていること自体が不思議な感じだが、それはマティスの色彩が「非網膜」的なところにまで達して作用するものである、ということだろう。それは目をよろこばせるだけでなく、目から入り込んでもっと深いところまで達して何かを直接的に揺り動かす。勿論、この「深い」というのは実体的な場所のことではないから、その場所を極薄とか四次元とか言ってもいいわけだと思う。
同じ本屋で立ち読みした(これも買ってない)バルトの『演劇のエクリチュール』という本にも、マティスについて書かれた短いテキストが載っていた。バルトはこのテキストでマティスをかなり強く否定している。マティスなどよりライスダールの方が素晴らしい、とかいうようなことが書かれているこのテキストを読んで、いかにもバルトっぽいとか思って口元が緩んだりもする。おそらく、バルトのエクリチュールマティスの生きる歓びとでは、相容れないものがあるのだろう。あくまで言葉や文化を媒介とした細かい振動を繊細に感知するバルトにとって、知覚に対してより直接的なマティスの仕事は、野蛮で退屈なものにみえるのだろうか。
マティスが、バルトよりもデュシャンの方に親しいというのは、なんか面白い。