●お知らせ。五月初旬に発売される河出文庫版『世紀の発見』(磯崎憲一郎)の表紙にぼくの作品が使われています(見本が届いた、ゴールデンウィーク中には書店に並ぶだろうとのこと)。使われたのは下の作品で、2008年の第一回「組立」で発表したものです。




檜垣立哉×岡本源太トークセッション「ヴィータ・ノーヴァ」って面白そうなのだが、大阪なのか…。
http://urag.exblog.jp/15150738/
●写真シリーズ、つづき。今日のは2004年くらいに撮っていたもの。フィルムで、サービスサイズのプリントには独自の「ちょうどいい」感がある。印象を拾うのにちょうどいい容量という感じ。これがポラロイドになると、ちょっと「印象的」になり過ぎる。
最近、携帯のカメラで撮っている写真とはあきらかに「狙っているもの」が違っている。いや、基本的に狙っているものは同じなのだが、デジカメだと一つのフレームに十枚とか二十枚分くらいのものを盛り込もうとしている。つまり、フィルムで撮っていた時には、ある程度ショットが溜まって、後からモンタージュしていたのが、撮ることとモンタージュすることを同時にするような感じになったということだろうか。
カラー写真になると、モンタージュする時に色彩の支配がかなり前面に出で来るようになる。しかし、色彩の表現力というか、喚起力はモノクロの方が圧倒的に豊かだ。これはおそらく、色彩がない分トーンが豊かになり、そのトーンの豊かさが人に色彩への変換を要請してくるためだと思われる。色彩の直接的表現力とトーンの間接的(潜在的)表現力を融合させるのが、おそらく絵画における色彩の豊かさだ。マティスの色彩は絵の前から立ち去った後に作用するとデュシャンは言う。