南天子画廊の岡崎乾二郎展について、少しだけ。二枚一組の作品が一点、三枚一組の作品が一点、あと、小品が何点か。全体として、色彩の中間的なトーンのバリエーションがすごく豊かになっていて、以前ほど、強い色彩の対比や、質感の違いによる対比が必要なくなっている。色彩だけでなく、筆触のバリエーションも豊かになって、より自由度が増した感じもする。一つ一つの筆触や形態が、床にこびりついたガムのように、外からやってきてキャンバスに貼り付いたような感じが後退して、互いの関係が緊密に調整されていて、フレームのなかに齟齬なく収まっている感じで、それは、作品をオーソドックスに絵画的な表情に近づけている。明らかに、絵を観る「目の喜び」は格段に増しているように思われるが、一つのフレームのなかに、複数の異質なものたちが共存していたり、過剰にひしめいていたりする感じは、後退しているのかもしれない。この「目の喜び」への強い傾倒は、うわー、すげー、いいなあ、という感触をまず到来させるのだが、その後、この豊かさによって失われた「貧しさ」(あるいは「凄み」)も存在することが意識される。作品が、あまりにも「うつくしく」なり過ぎているというところに、ちょっとしたひっかかりはある。
二枚一組の作品では、以前とつくりはかわらないのだが、左右のフレームでのこれみよがしな「対照性」はあまり感じられない。意識的に探るように観れば、明らかに、同じ形態、同じ筆触が左右のフレームで反復されているのだが、それよりもむしろ、それぞれの色彩の表情の方がずっと上回って強く前に出て来る。つまり、左右のフレームの関係性よりも、違いの方(独立性の方)を強く感じる。なので、左右の対照性はほとんど意識にはのぼらず、左右のフレームの関係は、意識以前の「予感」のような次元に留まる。色彩の豊かさと、筆触の自由な感触にこそ目が奪われるので、(岡崎作品の見方マニュアルと化した)対照する形態を探るような視線が抑制され、「それ(対照性)」はあるのだが、決して「それ」ばかりがあるわけではないことを、作品そのものが雄弁に語っている。対照性は(隠された秩序として後退して)半ば潜在化されていて、探れば見えて来るのだが、あくまでそれは第一の目的ではないことは明らかだ。ぼくはずっと、作品が二枚一組としてつくられる必然性に疑問を感じていたのだが、ここまでの完成度でそれを示されると、「すいません、文句はありません」と言うしかない。ただ、「文句」はないけど、それに積極的な意味を感じるかと言えば、それはよく分からない。二枚一組であることが、フレームを相対化するというよりもむしろ、フレームを強化するという効果につながってしまうのではないかというのが疑問だったのが、決してフレームを強化しはしないというところまでの完成度には達していると思われるのだが、それによってフレームの相対化がより明確に示されるのかどうかは、相変わらず疑問ではある。
三枚一組の作品では、それぞれのフレームの縦横の長さが黄金比によって関係づけられ、展開されている。ということはつまり、フレームの形が「先にある」ということだ。ぼくはその点に疑問を感じる。小林正人ではないが、フレームとその内部に「描かれたもの」は、同時に出現しなければならないと思う。勿論、物理的にはどうしたってフレームが先にあるのだが、フレームによって内部が規定されているように見える絵は窮屈だ。実際、三枚ある絵のうち、スクエアなフレームのものはそうでもないが、縦長の二枚は、フレームが先にある窮屈な感じに、ぼくには思われた。中央に置かれた作品は、トリミングして部分を拡大したもののように見える(つまり、フレームの方が、その内部で行われていることよりも強く見える)し、向かって左に置かれた作品は、フレームから決められた(つまり、フレームの形態に依存した)もののように見えてしまった。何と言えばいいのか、フレームの形と、その内部で行われていることや起こっていることとの関係が、恣意的なものに見えてしまうと言うのか、フレームの形態そのものと、その内部で起こっている事柄とか、同等の強さをもつに至っていないと言うのか。フレームの形態(縦横比)が先にあってもいいのかもしれないのだが、それと、筆触や形態、色彩相互の関係の間に、いま一つ必然的な結びつきが感じられないというのか(あまり積極的ではない意味で「絵になって」しまっている、というのか)。黄金比という比率が、それ自体としてあまりに強過ぎる、ということなのかも知れないのだが。あるいは、たった三枚だからフレームが強く見えてしまうのであって、例えば同様の原理で十枚とか、それ以上並んでいれば、またまったく別の見え方になるのかもしれない(でも、それだとリヒターになってしまうかも)。いや、すごく超絶技巧の作品だし、普通に、うっとりといつまでも眺めてしまうようなうつくしい作品ではあるのだが。絵ってむつかしいな、とつくづく思う。