●朝起きてテレビをつけたら「ぶらり途中下車の旅」をやっていて、古い写真を修復する人が出ていた。その修復された写真をテレビ画面でぼんやり見ていて思うのは、古いモノクロの写真の驚くほどのクリアーな鮮やかさで、これは、昔は写真はちゃんとプロが撮っていたから、今のスナップ写真などとは技術が違うということなのだろうけど、しかし、それだけではない、モノクロフィルムそのものが持っている高度な描写性というものが確かにあると感じられる。それは、何百万画素とか、そういう基準とは全然別のものなのだろう(そもそも、写真をテレビを通して見ているわけだから、その写真はテレビ画面そのものの解像度に左右されてしまっているはずなのだし)。
それから、昔は(「昔は」っていう言い方もバカっぽいけど)、今みたいに、写真を撮ったり撮られたりすることが日常的に普通のことではないから、ポーズも表情も、いかにも「写真用」にかしこまっていて、いわば無表情なつくられた感じなのだが、無表情であることによって、感情豊かな表情やポーズで撮られているよりも、ずっと、「その人が存在した」という感じが強く出ているように思われた。一瞬の表情を生き生きと捉えるとかじゃない、いわば存在そのものの凝固した状態を捉えるというような。そういう意味でもモノクロの写真は「物」的であって、しかしその「物」としての存在感の強さが、そこに写っている人の、「人」としての存在の強さをも伝えているという感じなのだ。本当の意味での「写真」とは、モノクロフィルムで撮られたもののことなのだろうなあと思った。
●あと、新橋の地下駐車場にいきなり中華料理屋があるとか、ガード下の飲み屋街のなかにポツンと床屋があって、九十四歳のおばあさんが現役で理容師をしている(店の名前が「バーバーホマレ」というのがすばらしい!)とか、東京って豊かだなあと思った。このおばあさんの、からだに比べて異様なくらい大きな手と長い指がとても印象的だった。
●喫茶店でゲラの直し。大きな問題点は、なんとかクリアー出来たように思う。