●渋谷でベクション(西川アサキ、掬矢吉水、柄沢祐輔、古谷利裕)の会合。詳しいことは企業秘密になってしまうので、書けることをさらっとメモしておく。
VRによって、現代美術が捨ててしまった近代絵画の可能性を引き継ぎつつ拡張・発展させることが可能なのではないか。マティスとデュシャンが分岐してしまった地点で、両者を統合しつつ、より複雑な次元へと発展させ、しかも感覚可能な形で表現することが可能になるのではないか。そして、そのための手がかりとして、コーリン・ロウの「虚の透明性」や岡崎乾二郎のブランカッチ礼拝堂の分析を、かなり直接的に参照できるのではないか。
虚の透明性とは要するに、複数の離散的な知覚体験が脳のなかで統合されることで生じる透明性のことだから、それ自体は眼には見えないし、「ここ」にあると指させない。近代絵画や近代建築において、それを経験するためにはある程度は目利きであり、見巧者であることが必要とされる。しかし、VRによって、それをより直接的に経験できるようにすることが可能なのではないか。そして、それをさらに複雑に、高い精度をもったものへと発展させることが可能になるのではないか。
(例えばゴダールの3D映画で、左眼はそのままで右眼だけがパンするという状態を差直接経験できるように。)
(VRの大きな特徴の一つに、視点---知覚---の交換が比較的たやすくできるという点があると思う。これを上手く使えば、プリミティブな装置でも大きな効果の期待できるものがつくれるのではないか。)