●どこで飼われているのかは知らないけど、住んでいるアパートのまわりにいつもいる猫がいて、ぼくの部屋のドアの前にもよくいるのだけど、部屋のなかにいて、パソコンに向かって文字を入力している時などでも、その猫が首につけている鈴の音が、チリッ、と鳴るのが聞こえて、あっ、動いた、と思うことがある。つまり、ぼくの住んでいる木造のぼろいアパートの壁はそのくらい薄いということなのだった。
前に住んでいたアパートは、大家さんの家の敷地のなかに二棟あるうちの一棟で、通りから、大家さんの家ともう一棟のアパートの間の隙間を入っていった奥にあって、裏にも建物があって、つまり四方を建物に囲まれていて、一階の部屋だっからまるで日が当たらないのだが、周囲の音がほぼ遮断されて、すごく静かだった。
その前に、学生の時に住んでいたアパートは駅のすぐ近くのしかも線路脇だったから、夜中でも、酔っぱらいやたむろしている若者の声が聞こえてくるし、JRの線路は、終電後でも貨物列車が走るので、電車の音や踏切の警報音も聞こえた。テレビを観ていても、電車が通ると何を言っているのか聞こえなくなるので、ビデオを借りてきて映画を観るときはいつもヘッドフォンを使った。
今、住んでいるのは、迷路のように入り組んだ住宅街の真ん中で、そこらへんに住んでいる人しか入り込まない場所なので、周囲の環境としてはとても静かだ。ただ、すごく変な位置に建っている。アパートの裏側は、かなり広い駐車場になっているのだが(整備されているわけではなく、ただの砂利敷きの空き地)、この駐車場は四方を建物に囲まれていて、中庭みたいになっていて、表の通りからはその存在が分からない。アパートの表側も、隣の建物まで十メートル以上の間隔があって、ここも砂利敷きで、雨が降るとぬかるんでぐちょぐちょになる。アパートの裏側にある駐車場に行くには、通りから、アパートの表側の空き地に入って、アパートの周囲をぐるっと半周するようにまわりこまないといけない。駐車場と言っても、空き地の隅にたまたま車が停まっている感じで、空いているスペースの方がずっと大きいので、つまりアパートは、空き地の真ん中に(真ん真ん中ではないが)建っている感じなのだ。だから、周囲の音が集まってくる。
しかも壁がすごく薄くて、猫がすかすに動いて鈴がチリッと鳴るのさえ聞こえるくらいだから、部屋のなかにいても、あまり内側にいる感じがしない。駐車場に入ってくる車の音、隣に木が鬱蒼と茂る庭のある家があって、そこにあつまってくる鳥たちの声(本当に鳥の声で目が覚めるくらいに朝方にはうるさい)、こまめにやってきて草むしりなどをしている大家さんのホウキではく音、上空を飛ぶヘリコプターの音、犬の散歩で駐車場のなかに入ってくる人がよくいるのだが、その砂利を踏む音や犬に話しかける声などが、すごく間近に聞こえる。むしろ、外にいる時より近い感じで聞こえる。前後に空間が広く空いていて、しかも割と高台にあるので風とおしがよく、夏は、表側の窓と裏側の窓を開けておけば冷房はいらないくらいなのだが(そのかわり冬は異様に寒くて、絶対に外よりも寒いと思う、そして、なかなか暖まらない)、窓を開けたままで昼寝をしていると、建物のなかではなく、空き地の真ん中で寝ているような感じなのだった。いや、普通に夜寝るときでもそんな感じで、だからずっと部屋にいても、あまり「籠もる」という感じにならない。内側が外側みたいな部屋だ。