●散歩してたら、隣りの駅の近くで、フリーマーケットというのか、路上に品物を並べて売っていて、でも売っているのはほとんどがガラクタというか、こんなのタダでくれるとしてもいらないよ、というか、お金払って引き取ってもらうしかないようなもの(やたらとでかい額入りの風景写真とか、木彫りのあやしい置物とか、ごつくて場所を取る灰皿とか、これといって特徴のない食器類とか)がほとんどだったのだけど、そこで、ポラロイドのインスタントカメラを二百円で売っていたので、なんとなく買ってしまったけど、まだ印画紙は手に入るのだろうか。試しにファインダーをのぞいてシャッターを切ってみると、ガシャッという、いかにも「シャッターを切る」という感じの大げさな音がして、その後一瞬間があって、ブーンという、印画紙を送り出す、これもまた大げさな音がして、おお、ポラロイドカメラだ、と思う。
●大学を出てから十年くらいアトリエとして使っていた建物があった場所まで行ってみた。そこは、その辺りに住んでいる人しか立ち入らないような何もない住宅街(近くにある唯一の「よろず屋」みたいな商店は、午後三時くらいで閉まってしまう)で、しかも山に囲まれている上に先が霊園になっていて行き止まりで、辺り一帯が袋小路になっている場所なので、アトリエがなくなってからはほとんど足を踏み入れる機会がなくなっていた。
アトリエとして使っていた建物は、炊事場もトイレ(汲み取り式)も共同の平屋の木造アパートで、しかしそこには、ぼくがアトリエとして使っている以外は、老夫婦と犬が一匹住んでいるだけだった(一時期、ぼくの大学の同級生が住んでいたこともあったけど)。でも、その老夫婦はお喋り好きで、ほとんどいつも近所の人と大声で喋る声が聞こえていたし、週末には大抵、息子夫婦と孫が遊びに来ていたし(「ありさー」「ありさちゃーん」と孫に呼びかける声がよく聞こえてきた)、犬がやたらと吠える犬だったりして(犬は、共有部分であるはずの廊下につながれていた)、とてもにぎやかな感じだった。大家さんも高齢の老夫婦で、先にお爺さんが亡くなり、次いでお婆さんも亡くなって、所有者がかわって不動産屋が管理するようになって、建物を取り壊すのことになったので立ち退いてくれという話が出た時は、二十年以上そこに住んでいる老夫婦はとても憤慨していて、ぼくにも、いいなりになって簡単に立ち退いたりしたら駄目だからね、とか言っていたのだが、ある時から急に態度がかわり、ぼくよりも先にどこかへ引っ越して行ったので、上手く「話がついた」のだろう。そういえば大家さんも話好きで、家賃を払いに行くと、お茶とお菓子を出してくれて、一時間くらいは、ほとんど毎回同じ昔の話を聞くことになっていた。
その建物があった場所には、今は建て売り住宅が二軒建っていて、一軒は人が住んでるみたいだったけど、もう一軒は空き屋みたいだった。建物の裏側はすぐに山の斜面になっていて、アトリエがあった頃は剥き出しの地面だったのが、今はコンクリートで崖崩れしないように補強されている(そこは山の斜面の中程にある土地で、高い位置にあり、アトリエの窓からは周囲を一望出来た)。しかし、辺り一帯の風景は、ぼくが大学を出たばかりだった十五年くらい前とほとんどかわっていない。とはいえそれは表面的なことで、微妙に違っている感じだったのは、なんとなく空き屋が目立つ感じになっていたことだった。山の斜面を登ってアトリエに向かう途中にあって、今もまだある古い感じのアパート(一階部分が駐車場になっていて、二階、三階に部屋が十部屋くらいある)の駐車場には、車が一台しか停まってなかったし、窓を外から見た感じでは、せいぜい二部屋か三部屋くらいしか人が住んでなさそうだった。
実際に、アトリエのあった場所に立って、既にそこにそれはないということを「見て」いるのに、それが「既にない」ということをどこかで信じられてなくて(視覚は「否定」が難しい)、たまたま道を間違っただけで、違う経路で行けば、まだ建物に辿り着けるような気がするのが不思議だ。大家さんの家を訊ねれば、あのお爺さんやお婆さんもちゃんと居そうな気がするし。